続・人間老いやすく、学成りがたし: 「データで子どもは「見える」のか」って、傾向が把握できて、何か役には立つかもしれないけど、なんかヤダなぁ。

2023/09/08

「データで子どもは「見える」のか」って、傾向が把握できて、何か役には立つかもしれないけど、なんかヤダなぁ。

 9月3日から朝日新聞デジタルで、「データで子どもは「見える」のか 活用の最前線と課題」という連載が始まっていて、9月5日の第5回が「支援が必要な子はどこに? 生活、学力、非認知能力…データ活用模索」という記事です。

 「どんなデータをどう掛け合わせれば、子どものことが「見える」のか」、「分析結果を現場での支援にどうつなげていくのか」ということで、大阪府箕面市の事例が紹介されています。

 「生活困窮」「学力」「非認知能力等」の3要素を掛け合わせて、最終的に支援が必要かどうかについて、「総合判定」を出すとのことなのですが、この連載のタイトル、「データで子どもは「見える」のか」っていうこと自体が、なんかイヤな感じがします。

 もちろん、データからなんらかの傾向が出て、支援に役立つ情報になるかもしれませんが、それはあくまでも判断の際の参考で、支援が必要がどうかは日ごろからの観察じゃないかと思うのですが…。だいたい「非認知能力等」なんて、どうやってデータ化するんでしょう?

 確かにこのようなことを利用して、人手不足やなんやらを補おう、あるいはよりよい支援をやろうというのはわかりますが、データだけに頼るのは問題です。「非認知能力等」もそうですが、もとのデータがそもそも信頼に足るものかと言えば、そこから問題になりそうな気がします。データによる判定は、あくまでも補助的に利用するのが正解だと思いますが。

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