続・人間老いやすく、学成りがたし: #静岡県史
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2023/09/03

金原明善没後100年で振り返ることは大切ですが、すべてが良いわけではないですので、その辺はきちんと見極める必要があります。

  中日新聞デジタル静岡版に、「金原明善の教えを今こそ防災に 天竜川治水など功績 没後100年で振り返る動き」という記事が出ています。

 没後100年となる実業家金原明善の功績を振り返る動きが、各地で見られることを伝える記事で、金原明善と言えば天竜川の治水に取り組んだことで有名で、彼の思想と行動は、戦前から今日に至るまで高く評価され、郷土の「偉人」として顕彰されていて、中日の記事もその方向での報道ですが、他方で松島十湖(1849~1925)が金原明善の治水実践を批判した事例のように、金原をめぐる評価は必ずしも「高評価」ばかりではなく、近年の歴史研究の成果に目を転じれば、金原明善を「偉人」として顕彰する言説が、近代天皇制国家における支配イデオロギーとなっていたことも明らかにされているわけです。

 天竜川の治水に関しても、地元の支持のもとになされたものではないということは、『近代静岡の先駆者』(静岡新聞社)「金原明善」の項で斎藤新氏により指摘されていて、みずからの全財産を捧げて改修事業に取り組もうとしたという言説も、金原明善家の家産は治河協力社解散時に返還されていて、治河協力社についても、斎藤新氏はその私的性格を指摘しています。

 浜松市内の学校では金原明善を「偉人」として教えていますが、人間は良い部分も、必ずしもそうではない部分もあるというのが世の常で、「偉人」と評価するのはどんな人でもなかなか難しいものですから、地域でさまざまな事業を展開した明善は「偉人」とするよりも、実業家として評価すべきだと思います。

2023/09/02

国立映画アーカイブの「関東大震災映像デジタルアーカイブ」に、『北伊豆震災』の動画が追加されました。

  9月1日、国立映画アーカイブの「関東大震災映像デジタルアーカイブ」に、『北伊豆震災』の動画が追加されました。

 1930年11月26日、伊豆半島北部を震源に発生した「北伊豆地震」による被害を、とりわけ激甚な被害に見舞われた地域での取材により紹介した作品で、1931年に制作されたものです。時間は18分50秒、文部省が制作したもののようです。

 地震の原因が、箱根から丹那盆地を抜けてまっすぐ南北に走る断層が、南北に8尺(約240㎝)ずれた結果起こった地震であることが映像内で示されています。

 沼津市内の家屋の倒壊の様子、三島大社の境内へ避難した人々の様子(三島大社の境内に情報収集所、警備指令所が設置された様子も写っています)、青年団ががれきを片付けていたり、大場郵便局では仮庁舎で業務を行っていたり、大場、韮山、伊豆長岡駅、修善寺温泉の被害状況、旧中伊豆町の八幡や中大見付近の山崩れ、伊東では一部で火災も起きたようで、最後は田方海岸の土砂崩れを映しています。北伊豆地震の被害が大きかった地域を中心に、多くの場所を撮影していますし、人々の様子も非常によくわかります(婦人会らしき女性たちの炊き出しの様子も出ています)。

 これは非常に有益な映像資料です。時間的にも学校の授業でも使いやすいのではないかと思いますので、これは利用するべきですね。

 ちなみに、これ以外にも映像資料として『東京大震災の惨状』『第四報 東京大震災惨状』『航空船にて復興の帝都へ』『地震と震災』『日本之大地震』『震災後之日本』が追加され、さらに東京や横浜の街の、震災前、震災直後、震災後日、復興期に分けて、変化の様子を見ることができる「震災タイムマップ」が新しくできました。これにより、国立映画アーカイブが所蔵する全20作品の震災関連映画がすべて公開され、サイトが完結したということです。

2023/09/01

「関東大震災100年」、改めて強く認識することが必要です。

  今日2023年9月1日は、「関東大震災100年」です。朝日新聞でも社説は「関東大震災100年 安全な社会になったのか」というタイトルです。

 朝日新聞は「関東大震災100年」で特集ページを設けて、さまざまなコンテンツをそろえています。最近は学校で行う防災訓練は、夏休みが8月31日までではないところが多くなっていることからも、9月1日の始業式の後に訓練をするというところが少なくなり、子どもたちも9月1日が何の日なのかよくわからないということもあるようですが、これを機に朝日新聞の特集ページなどを利用しながら、地震について考えるということが必要でしょう。何故ならば、朝日の社説にもあるように、関東大震災から100年経っても安全な社会になるどころか、ますます混迷を深め、安全ではない社会になっているからです。

 静岡県に関しても、今日の朝日デジタル静岡版で、「静岡県内450人犠牲、教訓生かす 関東大震災100年」ということで、県東部地域を中心に地震や津波の被害に見舞われ、約450人が犠牲になったことや、先日このブログでも紹介した伊東市の津波被害のことなどが紹介されるとともに、宝台院へ被災者が避難したことや、デマに乗じて中国人や朝鮮人、社会主義者らが虐殺された問題についても記載されています。特に静岡は、静岡市の沓谷霊園にある大杉栄と伊藤野枝の墓があり、墓前祭が開かれていましたが、それも100年を機に終わりとなることが記されています。

 このように「関東大震災」は、いまだに多くの学びを提供してくれます。「関東大震災」について認識を新たにし、学んでいく必要があるでしょう。

2023/08/28

関東大震災による旧伊東町(現伊東市)の津波被害の映像が収められたフィルムの発見は、大変重要です。

  8月26日の朝日新聞デジタルに、「関東大震災の津波被害とみられる映像フィルム発見 「貴重な資料」」という記事が出ています(他にも関連する記事として、「津波を耐えた松の木は現存 見つかった映像フィルム、生かす道は」、「「万死を冒して」撮った被災地 涙のむ観衆、上映で義援金集めも」があり、どれにも「関東大震災直後の様子を記録したとみられるフィルムが発見された」と題されたフィルムに収められた映像資料の一部が入っている動画がついています)。

 関東大震災の時に、旧伊東町、現在の伊東市で津波被害があったことは記録に残っていますが、それの映像資料があったとは。これは大変貴重で重要な発見です。

 フィルムには倒壊した家屋や、大川橋の上に乗り上げた船、がれきを片付ける人々、津波を受けた「十本松」(そのうちの1本はまだ現存している!)と呼ばれる木も記録されていています(これらのことは、上記の「関東大震災直後の様子を記録したとみられるフィルムが発見された」の動画で見れます)。

 関東大震災というと、どうしても東京や神奈川の火災による被害の話が多いわけですが、東日本大震災を見てもわかるように津波被害というのは非常に大きいわけです。今回その映像資料が見れるようになったということで、研究が一段と進むことが期待されます。

2023/08/16

歴史的な資料として、地域の住民が必要だと考えるものは、住民の手で残す努力をしなければ残せません。

 今日8月16日のあなたの静岡新聞に、「老朽化 消えゆく「戦争遺跡」 静岡・歩兵第34連隊 最後の施設解体」という記事が出ています(Yahooニュースに載っています)。

 今年6月に解体された歩兵第34連隊の「陸軍静岡練兵場訓練講堂」についての記事で、これに関してこのブログでもコメントしましたが、この訓練講堂は、建物の内部に催涙ガスをたき、連隊の兵士が防毒マスク装着を訓練したとの証言が残る、戦時中に兵器として使われた毒ガスに対応する訓練用の施設で、民間の個人所有者が払い下げを受け、近年まで倉庫や住宅として使用していたのですが、建物の老朽化などから所有者が昨年、取り壊しを決めました。しかし、所有者は静岡市に保存の観点から相談をしたのですが、「指定文化財にする基準に達していない」(市文化財課)として、解体前の図面の作成、記録にとどめたとのことです。

 「指定文化財にする基準に達していない」という判断は、そもそもその基準が明確になっていないので何とも言えませんが、本当に残そうと思うならば、基準などどうにでもなるわけですから、保存の対応を取らない言い訳に過ぎません。記事にもあるように、これまでも歩兵第34連隊関連施設の保存が問題になったことがありますが、結局ほとんど残っていません。

 県近代史研究会員の方の「「地域から戦争を見つめるためには実物を残す意義は大きい。市民から資料を受け入れる態勢を作ったり、記録保存をしたりすることが重要で、行政の力が必要になる」という指摘はもっともですが、静岡市の対応やその他の事例を考えると、保存にあたり行政に頼るのは、もはや時代遅れなのではないかと思います。そもそも、よほどのことでない限り行政がお金を出すことは考えられないわけですし、それで無くなってしまって地域の歴史を語るのに困るならば、地域の住民が自分たちの問題として保存に取り組むことが必要なのではないかと思わざるを得ません。ひと昔前だと大事でしたが、いまならばNPOを立ち上げてクラウドファンディングで資金を集めることも可能です。

 よくよく考えると、現在残っている前近代の歴史資料は、特に文字資料は自説の根拠となってくれる説明資料の文書であり、それは必要だったから関係者が保存をしてきたわけです。確かに建物の現物保存は非常に大変ですが、自分たちの歴史を語るうえで大切なものならば、自分たちの手で残す努力をしなければ、何も残すことはできません。行政に頼る文化財の保存はもう終わりにして、活用しながら残す道を探っていく時代なのではないでしょうか。

2023/08/04

歴史的価値は、時代によって変わりますから、登呂遺跡だって、見方を変えれば、今でも十分価値があります。

 8月3日の朝日新聞デジタル静岡版に、「教科書から消えた登呂遺跡 発見80年、弥生時代の象徴だったのに」という記事が出ています。

 かつては弥生時代を象徴する遺跡として、登呂遺跡はほどんどの教科書に出ていて、中高年は必ず学校で習ったと思いますが、今や弥生時代の遺跡としては吉野ケ里遺跡の方が有名で、今の中学校の教科書本文で登呂遺跡を記述しているのは1社しかないということです。

 確かに弥生時代を象徴するような遺跡は、吉野ヶ里遺跡の他にも卑弥呼の墓だと言われる箸墓古墳のある纒向遺跡なども知られているわけですが、しかし現在でも、弥生時代の集落遺跡で「国の特別史跡」に指定されている遺跡は登呂遺跡・吉野ヶ里遺跡・原の辻遺跡(長崎県壱岐市)の3つだけですから、弥生時代の三大遺跡と言えば、登呂遺跡も入るわけです(そうは言っても、弥生時代と言えば吉野ヶ里遺跡が圧勝ですね。原の辻遺跡は、ほとんど知られていないでしょうね)。

 ただ登呂遺跡の歴史的価値で評価が変わらないのは、「戦後間もない1947年(昭和22年)に、考古学・人類学・地質学など各分野の学者が加わった日本で初めての総合的な発掘調査が行われた遺跡」という点でしょう。また、「「弥生時代といえば水田稲作」というイメージが定着する契機となったことに加え、この登呂遺跡の発掘調査をきっかけに日本考古学協会が発足されるなど、戦後の日本考古学の出発点となった日本考古学の金字塔」という点も、時代が変わっても登呂遺跡の持つ価値であることには変わりありません。

 つまり登呂遺跡の価値は、戦後復興期の文化のところでは、他の追従を許さぬ確固たる地位を占めているわけで、教科書を記述する際に、戦後復興期をもう少し詳細に書くことになれば、必ず載ってくる存在だと考えます。

2023/07/16

犀ケ崖古戦場で、4年ぶりの遠州大念仏!

  昨日7月15日は、遠州の夏の風物詩「遠州大念仏」でした。その由来は、三方ヶ原の戦いの中の犀ヶ崖で亡くなった人の霊を弔うためと言われていますから、「どうする家康」が放送されている今年は、先日三方ヶ原の戦いも放映されたので、犀ケ崖古戦場での4年ぶりの披露とうことで、大勢の見物客が訪れました。

 NHKの静岡 NEWS WEBでは、7月16日付けで「三方ヶ原の戦いで亡くなった人の霊を弔う「遠州大念仏」」として、ニュース動画が添付されていますので、「遠州大念仏」ってどんな感じ?という方は見てみてください。

 「遠州大念仏」についての詳細は、遠州大念仏保存会のホームページに詳しく出ていますので、興味のある方はどうぞ。

2023/07/02

浜松市が、徳川記念財団の所蔵品を展示する施設を作る⁉

 6月27日の各紙の県内版に、浜松市の大河ドラマ館跡地に徳川記念財団の所蔵品を展示する施設を計画するとの報道が出ています。

 「どうする家康」がかなり盛り上がっていますので、その延長線上で今回の話題になったのではないかと勝手に想像しますが、浜松市には既に浜松市博物館がありますし、12市町村が合併しているので浜松市博物館分館として他にも多くの資料館があるのですが、さらに新しくつくろうということです。

 文化財を重視しているのは大変ありがたいことですが、徳川記念財団の所蔵品って、かなり重要なものもあるので、大河ドラマ館をリニューアルした程度ではダメですから、かなりちゃんとした展示施設をつくる必要があります。そうなると、また新しい箱物…ということになるので、批判する向きもあるでしょう。また、博物館での所蔵品の紛失問題があっただけに、これでまた新しいものをつくって大丈夫か?って思ってしまいます。箱物をつくるなら、それをきちんと管理するために人も増やす必要があると思うのですが、そこまでのことを考えるとかなり???ですね。

 また、せっかく重要な文化財を保存展示する箱物をつくるのならば、今のご時世、公文書の保存も考えてほしいですね。浜松市は中央図書館の郷土資料室がかなり充実していましたので(図書館リニューアル後は、「調査支援室」という名称になりましたが)、これをベースに公文書館類似施設くらいにはなれるのではないかと思うのですが。

2023/06/29

「朝比奈 龍勢・昆虫館」がオープン!

 6月24日に、藤枝市岡部町に「朝比奈 龍勢・昆虫館」がオープンしました。

 道の駅「玉露の里」の敷地内に、昨年まであった「ふるさと世界の昆虫館」が閉館してから約1年ちょっとですが、リニューアルされて、「龍勢ゾーン」と「昆虫ゾーン」を持つ施設となりました。

 「ふるさと世界の昆虫館」は、世界のカブトムシや蝶の標本がたくさんあって、かなり評判が良かった施設ですが、同じ朝比奈でもあり、県の無形民俗文化財でもある「朝比奈龍勢」なので、施設の有効利用ということでしょう。

 「朝比奈 龍勢・昆虫館」としてのオープンを機に、豪族・朝比奈氏の居城「朝比奈城」と、当時から狼煙として使用されていたといわれる朝比奈龍勢をモチーフにした御城印が発売されました。購入できるのはここだけで、ブルーを基調としたカッコいい御城印です。1枚300円です。

2023/06/24

朝日新聞の記事、表現がちょっと正確じゃないので、俗説を信じちゃう人、いそうだなぁ

 6月19日の朝日新聞デジタル静岡版に、「どうして家康、粗食の大御所が最後に暴食 謎の1日ジオラマで再現」という記事が出ています。

 藤枝市郷土博物館で6月3日から開催されている「徳川家康と田中城~家康の天下取りを支えた西駿河の人々とゆかりの資料~」で展示されているジオラマを紹介する記事で、何のジオラムかというと、家康が田中城にタカ狩り来た際に、夕食に出たタイの天ぷらをたくさん食べて、激しい腹痛を訴え、それが家康の死因だとされる俗説を表現したものです。

 これを紹介する朝日新聞の文章が、「夕食に出たタイの天ぷらを気に入り、何度もおかわりしたところ、夜半に激しい腹痛を訴えその後死に至った。」となっていて、さらに藤枝市博物館のジオラマも、家康がタイの天ぷらを食べて腹痛を訴えた「その波乱の一日をジオラマで再現した。口をあけて天ぷらを食す場面から一転し、床に伏す家康の姿をリアルに描く。」というもののようなので、まるでタイの天ぷらを食べて腹痛を訴え、その後に亡くなったのが、1日の出来事であるかのような、ミスリードを呼ぶのではないかと思ってしまいます。「家康の死因はタイの天ぷらの食べすぎによる」という俗説を裏付けるものとなってしまいかねませんんね。

 しかし、当時の記録によると、家康が腹痛を訴えたのが、元和2年1月22日丑の刻(午前2時)、そして田中城の御殿で3日間静養し、1月24日に駿府へ戻るも、腹痛は治まらず、4月17日巳の刻(午前10時頃)に駿府城において没しているわけで、死因がタイの天ぷらの食べすぎならば、腹痛を起こしてからかなり時間が経ってから亡くなっているのは不自然で、近年では死因は胃がんだとされています。

 でも、朝日新聞のこの記事を見て、「やっぱり家康はタイの天ぷらで死んだんだ。」と思う人が出そうだなぁ。文章は正確に書かないといけませんね。

2023/05/30

諏訪原城跡でチャンバラ合戦を実施!

 5月29日の朝日新聞デジタルに、「島田・諏訪原城跡で7月「令和の陣」 参加募る」という記事が出ていたので、島田市のホームページを見たら、5月15日にはページが更新されていて、掲載されていたようです。

 今年は諏訪原城が天正元年(1573)に築城されてから450年なんだそうです。それを記念して、諏訪原城応援隊イベントとして諏訪原城跡でチャンバラ合戦を実施するんだそうです。

 諏訪原城応援隊とは、落語家で、現在『笑点』の司会者である春風亭昇太さんが応援隊隊長、日本城郭協会理事の加藤理文さんが応援隊副隊長、フリーアナウンサーの片川乃里子さんが応援隊隊員というもので、この諏訪原城応援隊と一緒に、スポンジ製の当たっても痛くない刀で、腕につけたボールを叩き落すチャンバラ合戦を実施するということなのです。

 開催日時は、7月31日(月曜日)   午後1時30分~午後3時30分 (受付開始午後1時)、参加対象は小学生以上で定員は60名、参加費として1人500円が必要です。申込みは既に5月20日から始まっているので、参加したい人はお早めに。

2023/04/08

滋賀県立公文書館の「公文書館所蔵資料を用いた学習指導案集」、すごく参考になります。史料を替えれば、他の地域でも使えそう。

  昨年9月に滋賀県が誕生して150年を迎えた記念事業として、県内小中学校・高等学校の協力を得て作成した「公文書館所蔵資料を用いた学習指導案集」が、2023年3月31日刊行の滋賀県立公文書館情報紙『滋賀のアーカイブズ』の第13号として刊行されています。

 ただ、これには先行するものがあり、2022年3月31日付けの『滋賀のアーカイブズ』第12号には、「『歴史公文書が語る湖国』を用いた授業指導案」が掲載されていて、いわばこちらが「県政150周年記念特集」その1という感じのようです。また、これらは滋賀県立公文書館の学校連携事業とされていて、公文書館ホームページの学校連携のところにもアップされています。

 さらに、実はこの事業にも先行するものがあり、それが『歴史公文書が語る湖国』という、滋賀県立公文書館所蔵の特定歴史公文書等を利用した書籍です。さらにこの書籍は、明治150年特別展「湖国から見た明治維新」がきっかけで作成されたということですから、自分のところにある宝をとことん利用しているわけなのです(このあたりの詳細については、こちらに出ていました)。これはすごいですよ!

 静岡県でも、過去に『静岡県史』で集めた史料を活用する意味で、『資料に学ぶ静岡県の歴史』という小冊子や、「授業の種」という『図説静岡県史』の画像資料をもとに作成した補助教材が作成されていますが(ともに、「静岡県歴史文化情報センター」のホームページにアップされています)、滋賀県立公文書館の規模ではないですね(滋賀県は専門の方がじっくり取り組まれているのに対して、静岡のは教員が片手間でやっているので、レベルの差が断然違います。やるなら、ちゃんと滋賀県みたいにやらないと)。

 滋賀県の学習指導案、静岡の史料に替えれば、利用できそうな気がします(まぁ、静岡県は近現代史料をきちんと集めていないので、替えられる史料があるかどうか分からないですけど)。

2023/04/03

磐田市で、徳川家康ゆかりの古跡に関係した御朱印が、3つもできました。

 4月2日の中日新聞デジタル静岡版で、「社山城、城之崎城、中泉御殿の3古跡御朱印 磐田駅前で販売」という記事が出ています。

 磐田市市内の徳川家康ゆかりの社山城、城之崎城、中泉御殿の三古跡の御朱印ができて、4月1日からJR磐田駅前の観光案内所で販売されるようになったとのことです。

 社山城は、武田氏と徳川家康の二俣城をめぐる争いに関連して記録に登場しており、城之崎城は、遠江を支配下に置いた家康が、遠江の中心地であった見付に新しい城を築くこうと築城しかけましたが、武田氏との戦いを想定した時に不利であるとして築城を断念し、浜松へ移したとされています。

 また、御殿とは将軍の旅行や外出の際の宿泊・休憩施設として全国に90箇所ほど設けられた施設で、中泉御殿は家康がタカ狩りなどで21回訪れていて、敷地は約1万坪と伝えられ、絵図等によると、敷地の北側に土塁と水堀を築き、南側は湿地に臨む要害の地でした。

 なお、御朱印を3枚とも購入した人は、御朱印を貼る古跡巡帳がもらえるようです。

2023/04/02

遠江国分寺は、なんで「木装基壇」なんだろう?

 3月31日の中日新聞デジタル静岡版に、「「木装基檀」復元は全国初 磐田の遠江国分寺跡」という記事が出ています。

 全国初の講堂の「木装基壇」復元ということですが、「木装基壇」とは、土を叩き締めて地面より高く盛った土台の周りを、土が崩れないよう柱と板で囲ったもののことで、簡単にいってしまえば、いわゆる土留ということですが、そもそも国分寺の基壇が「木装」なのは、三河国分寺で確認されているのみです。まぁ、木なので残りにくく、なかなか確認できないということもあるのですが、一般的には石や瓦を使うことが多い中で、木を使っているというのは珍しい事例です。しかも遠江国分寺は、金堂や塔をはじめとした主要な建物が「木装基壇」であり、さらに木製柱の灯籠跡や木製の暗渠排水路も確認されています。

 記事の中で、何故「木装基壇」なのかについて、「石が採れず木が使われた可能性がある」とされていますが、金堂や七重塔の柱を支える礎石には、市北部の敷地地域産とみられる粗粒砂岩が使われていることがわかっているので、石が採れなかったということはないと思われ、また遠江国分寺で使用されている瓦を供給した掛川市(旧大須賀町)清ヶ谷古窯群には、一般的には瓦や石などとともに基壇外装に使われる塼(せん)と呼ばれるレンガ状のブロックがあることから、遠江国分寺は石の代わりではなく、意図的に「木装」にしたのではないかと考えられます。

 主要な建物や灯籠などで木材が利用されているという点では、統一感があって見た目が美しいと想像されますが、何故あえて「木装」なのか、何の効果をねらっているのか、疑問です。

 ちなみに、4月1日に「史跡指定100周年 遠江国分寺跡 講堂・僧房 木装基壇完成記念見学会」が開催されました。

2023/03/30

袋井市の「平治二年銘梵鐘」が、県指定文化財に答申されました。

  3月27日の中日新聞デジタル静岡版に、「袋井の梵鐘を県文化財に 静岡県文化財保護審が答申」という記事が出ています。

 「平治二年銘梵鐘」と呼ばれている、1983年に袋井市岡崎の茶園の改植中、地中から発見された梵鐘で、かつて愛知県豊橋市の船形山普門寺にあったとされており、銘文があるものの中では県内最古で、全国でも十二番目に古い、平治二(1160)年の紀年銘が鋳刻されていることなどから、平安時代末期ごろの作とみられています。

 製作技法について「平安時代から鎌倉時代へとつながる、過渡的なあり方を示すと考えられる」、「東海の地域史を知る歴史的資料としても特筆すべき価値」があるというのが指定文化財への答申理由です。

 この梵鐘についての詳細は、『平治二年銘梵鐘調査報告書』で知ることができますが、豊橋市の船形山普門寺にあった梵鐘が、何故袋井市岡崎に、意図的に埋納されていたのかという最大の疑問は、残念ながら上記調査報告書でも明らかにされていません。これが分かれば、この梵鐘の文化財的価値はもっと上がると思うのですが。指定文化財に答申されたのを機に、誰か調べてくれないかなぁ😅

2023/03/19

「どうする家康 浜松 大河ドラマ館」が、グランドオープン!

  昨日3月18日、浜松が舞台となるドラマの展開に合わせて、「どうする家康 浜松 大河ドラマ館」がグランドオープンしました。期間は、2024年1月14日(日)までです。

 「どうする家康 浜松 大河ドラマ館」のホームページによると、館内は、

1.ようこそ「浜松 大河ドラマ館」へ

 松本潤さんの大判ビジュアルやwelcomeメッセージでお出迎え。「どうする家康」の番組概要もご紹介。

2.いざ、浜松城へ

 ドラマに登場する浜松城城門を再現!城門をくぐったその先はもう浜松城。

3.体感!「どうする家康」の世界

 登場人物のご紹介や衣装・小道具のほか、実際の撮影で使用されたセットを展示!「家康たちがいた当時の浜松城」の雰囲気を再現。大スクリーンではドラマで登場した風景も。迫りくる武田の脅威や「三方ヶ原の戦い」など時代背景や、ドラマ制作の舞台裏を詳しく紹介。

4.スペシャル体験コンテンツ&フォトスポット

 「どうする家康」の映像世界を楽しむことができるデジタル体験コンテンツや、キャストの等身大パネルと写真が撮れるコーナー。

5.スペシャル体験コンテンツ&フォトスポット

 「どうする家康」の映像世界を楽しむことができるデジタル体験コンテンツや、キャストの等身大パネルと写真が撮れるコーナー。

6.企画コーナー&エンディング

 企画展示や、華やかな出演者のみなさんのサイン色紙を展示。

となっています。

 合わせて、「出世の街 家康SHOP」もリニューアルしたようです。

 3月19日の中日新聞デジタル静岡版の「大河の世界 浸って ドラマ館、本格オープン」の記事によると、昨日は雨にもかかわらず、2,414人が来場したとのことです。今日は静岡でも桜が開花したようですし、だんだん暖かくなりますから、浜松だけに限らず、静岡の方のドラマ館にも多くの人が来てくれることを期待したいです。

2023/03/18

静岡県内からは7件が、登録有形文化財(建造物)への登録が答申されました。

 3月17日の文化審議会文化財分科会で、147件の建造物を登録するよう文部科学大臣に答申されました。静岡県内からは7件(一覧表の54から60)です。

 一つ目は、静岡市葵区弥勒二丁目と駿河区手越を結ぶ安倍川橋です。もとは1874年に木橋として作られ「安水橋」という名称でしたが、1923年に来たる車社会に対応するため、鋼材により建設され「安倍川橋」と改称、ボーストリングトラス橋としては国内最長です。今年2023年はちょうど100周年ということで、「安倍川橋」建設100周年記念のプロジェクトが行われます。100周年記念に花を添えた形になりましたね。

 二つ目は、磐田市掛塚の旧津倉家住宅の主屋、応接棟、土蔵です。津倉家は、掛塚湊の廻船問屋と材木商で繁栄した旧家で、主屋は1889年に建てられています。現在は磐田市に寄付されていて、まちづくり団体「みんなと倶楽部 掛塚」によって見学会などが開催されているようです。応接棟は大理石風の列柱がテラスに並び、土蔵は地棟に船材を転用されるなど、水運業の繁栄の歴史を、今に伝えています。

 三つ目は、伊豆市修善寺の川端家修善寺別邸の主屋と門です。日本画家川端龍子は、修善寺をこよなく愛し、何度も新井旅館に宿泊し、ついに温泉街の先に建てた別荘が今回答申された建物です。その庭を描いた『龍子垣』という作品があり、温泉街を見おろす修禅寺裏山の墓地の中腹に川端龍子のお墓もあります。

 四つ目は、沼津市西浦の海瀬家住宅の主屋です。海瀬家は屋号を仲屋とする、江戸時代後期から西浦河内に居を構え、みかんを中心とした柑橘類を栽培している歴史あるみかん農園です。住宅は、江戸時代後期に建築された元は茅葺きの寄棟造りの建物で、沼津市で最も古い住宅と言われています。

2023/03/02

静岡市駿河区の「曲金C遺跡」は、古墳時代前期の古墳と古墳時代中期の大量の土器や玉類を伴う祭祀跡がメインですね。

  現在静岡市が調査中の駿河区曲金二丁目の「曲金C遺跡」で、2月25日に現地説明会が開催されました。静岡市環境保健研究所の移転予定地だそうですが、そもそもすぐ近くに曲金A遺跡、B遺跡があるので、何が出るんだろうかと思っていましたら、なかなか良い遺構が出ました。

 現地説明会資料によると、遺構の検出面は3面あって、まず第1検出面では古墳時代後期(6世紀前半)の水田跡が検出されています。これは周辺でも出ているので妥当なところです。

 目玉は、第2面の古墳時代中期(5世紀中頃)の土手状遺構で検出された大量の土器や玉類を伴う祭祀跡と考えられる遺物集中ですね。千数百個体の土器と小玉、滑石製模造品などだそうです。また、もう1か所遺物集中箇所があるそうですが、かなり多い遺物の量です。こんなに大量の土器や玉類を使って、どんな祭祀をしたのか、大変興味がわきますね。

 もう一つの目玉は、第3面の古墳時代前期(4世紀後半)に造られた古墳です。1辺約10mの方墳で、周囲には溝が巡っていて、墳頂部から周溝の底までは2.5mほどの高低差があり、墳頂部では、被葬者を埋葬するための墓坑が検出されています。この周辺は丘陵部には古墳がありますが、平野部での古墳はめずらしいです。そもそも平野部に古墳があっても、洪水で削られたり、人為的に削平されたりしてしまうので残りにくく、今回の発見はかなり貴重です。

 まだ、下層の調査が続いているとのことなので、この後の報告も楽しみです。

2023/02/06

家康に関する伝説の1つが、一歩解明に近づいた⁉

  2月5日の中日新聞デジタル静岡版に、「家康救った孫尉の位牌発見 浜松・筏問屋田代家で展示」という記事が出ています。

 浜松市天竜区二俣町鹿島の国登録有形文化財「旧田代家住宅主屋・旧田代家住宅土蔵」の、解体修理中の土蔵から、徳川家康に協力した功により天竜川の筏川下げ等の御朱印を受けたとされる孫丞の位牌が発見されたという内容です。

 上阿多古草ふえ会『ふるさとものがたり天竜』(上阿多古草ふえ会、1987年)によると、この孫丞なる人物と家康とのエピソードは、

 「家康は天竜川で何十本もの材木を、藤つるで頑丈に結わえ、二つも三つも連結して流れる筏を見た。家康はこれほどたくさんの筏を男が一人で操っていることに驚き、その者の名前を聞いた。男は鹿島村の孫尉と名乗った。家康は孫尉に「天竜川筏乗り下げの特権」を与えた。」

という伝説と、

 「二俣城の偵察からの帰り道、家康が鹿島の渡船場(今洲の渡し)に来ると、船が無くなっていた。武田方の仕業に違いないと困っていると、椎ヶ脇神社の神主孫之尉が村人を集め、またたく間に竹の筏を仕上げて家康に差し出した。おかげで家康は、無事浜松へ帰ることができた。
 その後、孫之尉は家康からたくさんの褒美と、今洲の渡しの渡船場支配者権を与えられたという。
」

という伝説の2つがあり、中日新聞に出ている「今洲の渡し」の伝説は後者ですが、「悟翁浄頓社使」が孫尉の戒名とされているところを見ると、「椎ヶ脇神社の神主」とされているもの、まんざらではないと思われます。ただ、江戸時代の旧田代家は筏問屋であったことから、前者の伝説の要素も関連がありそうで、前者の「鹿島村の孫尉」と後者の「椎ヶ脇神社の神主孫之尉」は同一人物だと考えることができそうです。中日の記事にあるように、「伝説的な人物の解明に一歩近づいた」と言えそうです。

 ちなみに、「旧田代家住宅主屋・旧田代家住宅土蔵」は、
 
登録有形文化財の概要
 田代家は江戸時代に天竜川の渡船場の船越頭を務める一方で、天竜川筏の受け
  継ぎ問屋を経営し、栄えた旧家。
  川畔に敷地を構え、筏問屋にふさわしい選りすぐりの木材、巧みな技法を用い
  た建物が特徴的。
(1)旧田代家住宅主屋(きゅうたしろけじゅうたくしゅおく)
     木造2階建、切妻造、桟瓦葺で、安政6年に建築。
     舟運による繁栄を伝える大型民家。
 (2)旧田代家住宅土蔵(きゅうたしろけじゅうたくどぞう)
    木造2階建、切妻造、桟瓦葺、外側漆喰塗。昭和前期建築。

ということで、2015年国登録有形文化財に登録されました。現在は浜松市の所有で、土・日・祝日のみ公開しています。入館料は無料で、筏問屋田代家住宅専用の無料駐車場もあり、5日から日曜日を中心に公開されるこの位牌も見ることができます。

2023/01/13

今日1月13日、静岡市歴史博物館が全面開館‼

  今日1月13日、静岡市歴史博物館がグランドオープンしました。昨年から、1階のみが無料開放されていましたが、これで全面開館となったわけです。

 グランドオープンに合わせて様々なイベントが行われますが、やはりメインとなるのは、開館記念企画展「徳川家康と駿府」ですね。この企画展の目玉は、チラシの表紙にも出ている、家康が元服にあたり今川義元から贈られた「紅糸威腹巻」と、晩年に着用した「「伊予札黒糸威胴丸具足(歯朶具足)」の復元模型ですね。可能な限り、当時と同じ技法で制作したものなんだそうです。

 この企画展は2月26日まで、一般1,000円、高校生・大学生・市内70歳以上700円、市外小中学生250円(市内在住・通学の小中学生は、こどもカード等提示で無料)となっています。この金額で、基本展示も見ることができるのですが、基本展示だけの料金は一般600円、高校生・大学生・市内70歳以上420円、市外小中学生150円なので、数百円プラスするだけで企画展が見れるのですから、得です。