続・人間老いやすく、学成りがたし: #学校
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2023/09/22

まだ、社会全体で共有というムードにはなっていない気がします。

  9月21日の朝日新聞の社説は、「教員の働き方 危機感、社会で共有を」というタイトルですが、「持続可能な教育のあり方を、社会全体で考える機会にしたい。」という社説の言葉のようにはなっていないような気がします。

 「社会の複雑化や子どもの多様化を受け、学校の仕事は増え続けてきた」のは事実ですが、それと同時に社会全体の学校を見る目や、保護者の学校とのかかわり方が、以前とは違ってきていると思われるのです。

 「子どもたちに十分な教育を提供することが難しくなっている危機的な現状」と社説では述べられていますが、それが「危機的」だと感じているのかどうか。

 「教育」が学校だけで担われる時代ではなくなっていることも、また事実であり、それだけ学校への関心が弱くなっているのではないか。少なくとも、従来ほど学校に関心が向いていないような気がします。

 もちろん、社説で述べられているように、もっと関心を持つ必要があるとは思いますが、基本を変えぬまま、一部分だけを見直すことで問題を乗り越えようという姿勢だからこそ、全体に共有するというほどの危機感を感じられないのではないでしょうか。もっと根本的なこと、つまり学校をどうするかということを議論すべき時に来ているのではないでしょうか。学制以来150年の近代教育は、新たな教育の在り方に変わるべき時期になっていると思います。

2023/09/19

教職が敬遠される主な要因となっているのは、「長時間労働」のようですが、やり方次第なのでは?

  9月19日の朝日新聞デジタルに、「あなたはなぜ教員に?試験会場で聞いた「何物にも代えがたいのは…」」という記事が出ています。

 「全国の公立学校教員の採用試験の志願者が減り続けている。教職が敬遠される主な要因となっているのは、長時間労働だ。」ということのようなのですが、教職に限らず若いうちは長い時間仕事をせざるを得ないような気がしますが…。

 新人のころは、いろいろなことを知らないわけですし、知識もノウハウもないので、何をやるにしても時間も手間もかかりますから、結果的に長時間労働になるのというのは、どんな職業でも同じだと思います。ただ教職の場合、相手が何十人もいて、ある子に通用しても、別の子には通用しないということが多々あり、それが1年終わると受け持つ子どもが変わるので(学年持ち上がりでも、クラス替えがあって、完全に同じ子どもばかりではないので)、毎年新しい相手がいるということになれば、前年うまくいったことでもうまくいかず、改善の必要がでてくるわけで、ある意味毎年新しいことに取り組まなければならず(そうじゃない方もいるでしょうが)、ましてやすぐに答えが出るものでもないので、これで良しということがなかなか定まらないため、必然的にやることが多くなるわけです。何かを試してみようとして、自分自身でドツボにはまってしまうことも多いでしょう。

 これってやり方次第だと思います。自分の力で子たちが良くなるとかいうことも、ある時もあれば、ない時もあるし、むしろ自分の力でどうにかなるというのは、ある意味思い上がりでしょう。いい意味でいい加減な部分があっても良いし、子どもたち自身の力で何とかなっていく部分が多いはずです。教員の力など微々たるものですが、きっかけや糸口を与えることはできるでしょう。

 最初から構えないで(と言っても構えてしまいますが)、若いうちは何も知らないんだから、時間がかかるのは当たり前、それを嫌っていては何もできないということを理解していれば、別に教職だろうと何だろうと同じなので、教職だけ避ける必要もないはずですが。近年は情報が多いので、どうしても頭でっかちになってしまうのが問題ですね。

2023/09/17

ヨーロッパの「アナログ回帰」、ちょっと早いなぁ。

 9月13日のCOURRIER JAPONに、「デジタル教材先進国のスウェーデンでも デジタル機器は学習に悪い?─欧州で始まった学校の「アナログ回帰」という記事が出ています(プレミアム記事なので一部しか読めませんが、無料会員になると月2本まで見れるようになるので、無料会員になると良いかもしれません。ちなみに私は無料会員なので、月2本まで見れるのですが、他にも見たい記事が結構あって、プレミアム会員に登録してしまいそうですが😅)。

 「スウェーデンでは、約1年前に就任したロッタ・エルホルム学校教育大臣のもとで、学校の授業における「紙の書籍や手書き」への回帰が進んでいると英紙「ガーディアン」などが報じ」、「ドイツでも同様の議論があり、一定の学年以下の授業でデジタルデバイスを使わない方針を掲げる学校もあ」り、「オランダでも、学校へ持ち込むデジタル機器について大幅な制限が検討されていると報じられた」とのことです。

 これらの国々では日本よりもかなり早くデジタル機器が学校に導入されているので、その結果、「読解力の低下」が指摘されていて、「セビリア大学の教育心理学者パブロ・デルガドらの研究では、限られた時間で説明文を読む場合には紙のほうが優れていること、および、デジタルテキストに慣れたデジタルネイティブ世代であっても、デジタルテキストの読解力が高くなるわけではないことが示された」ことなどもあり、「紙への回帰」が予定されているわけです。

 「『スマホ脳』で有名なスウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセンも、クーリエ・ジャポンによるインタビューのなかで、抽象度が高い内容の文章は紙で読んだほうが理解度が高まるという研究結果を挙げている」とのことなのですが、一方で「デジタルを「唯一の悪者」扱いすることには賛否ある」ようですが、やっと本格的になりつつある日本は、どうすればよいのか?ですよね。特に高校では来年やっと3学年がそろうという学校も多いだろうと思われるので、これからという感じのところも多いと思われます。まぁ、とりあえずはデジタル機器使用の実践を積み重ねながら、ヨーロッパの様子見というところですかね。

2023/09/15

やって無駄になるわけではないだろうけど、どれだけ役に立つのか、期待はしない方がいい。

  9月12日の朝日新聞デジタルで、「東京のスピーキングテスト、ベネッセに代わる英国機関にインタビュー」という記事が出ています。

 「東京都内の公立中学生を対象にした「英語スピーキングテスト」の次期運営事業者の候補に、英国の公的な国際文化交流機関「ブリティッシュ・カウンシル(BC)」が選ばれた。」ということで、機関の人間にインタビューした記事なのですが、東京都も懲りないというか、よくやりますよね。

 生徒の英語力を伸ばすために、英語スピーキングテストは多少役立つと思いますし、そのために授業等でも練習するのでしょうから、まったく役にたたないわけではないでしょうが、そのあと続けないと身に着かないですよね。東京なので、進学した高校によってはこれが活きるような学習をする学校もあるでしょうが、すべての学校がそのような取り組みを行うわけではないですし、東京とは言え、英語で会話をする機会が多いわけではないのですから、労力をかける割にはって気が済ますが。

 「2021年全面実施の中学校の学習指導要領では英語の授業は原則英語で行うことになり、言語活動も重視する内容とな」ったわけですが、英語が好きだとか得意だとかいう生徒とってはこれを機にもっと伸びる生徒もいるでしょうが、そうじゃない生徒にとってはただ苦痛なだけで、より一層苦手意識が強くなったりするのではないかと思ったりします。英語に時間をかける分を、その生徒の得意な分野に回して、強いものをつくった方が良いのではないかと思いますが、どうでしょうか。

2023/09/12

専門職の人手不足をAIに代替させるのは、難しいでしょうね。

 9月6日の朝日新聞デジタルに、「AI導入の落とし穴 人手不足の学校や児相で「本末転倒なDX」も」という記事が出ています。

 「学校や自治体で、一人一人の子どもの個人データを連携させたり、それをもとにAIに虐待のリスクを判定させたりする取り組みが進」んでいて、「現場からは人手不足や縦割りの解消にと期待する声」があるとのことですが、「データ化を進めたからといって必ずしも楽にはなるとは限らない」という横浜市立大の先生のコメントが出ています。

 「国や事業者は、「人手の少なさをデータ化と自動化でカバーできる」などとして各自治体にシステムの導入をすすめ」ていて、「職員が足りておらず負担を減らしたい自治体は、それに乗りやすい」のが現実ですが、記事にもあるように「ごく単純なプロセスの手間を省くDX(デジタル化)なら一定の効果はあるでしょう」が、「子どもに関わる複雑なプロセスで専門職の人手が足りていないところをAIに代替させようとしても、人手が足りないまま済ませるのは難しい」のが事実だと思います。

 自治体は机上の計算で物事を判断する場合が多いですが、実際に人がかかわる作業は計算通りにはいかないのはもちろん、特に専門職が行うようなことは、まだまだデータ化しきれるものではなく、専門職ならではのコツがあったりしますし、日常的にその分野にかかわっているから気がつくことなども多いわけです。ですから、それをAIに代替させようにもAIが学習できるデータになっていないことも多く、AIのそこまではまだいっていないわけです。やはりある程度人を配置しないとならない部分はあるわけで、それを安易にAIで代替させようとすると、かえって混乱してマイナスになってしまう可能性があるのですが、自治体などはなかなかそこまで考えないというか、危機管理不足というか、まぁどうにならないと気が付かず、ただ何かあっても自分たちが悪くないと思うという、最も人間らしいところがあるんです。仕方ないですけどね。

2023/09/08

「データで子どもは「見える」のか」って、傾向が把握できて、何か役には立つかもしれないけど、なんかヤダなぁ。

 9月3日から朝日新聞デジタルで、「データで子どもは「見える」のか 活用の最前線と課題」という連載が始まっていて、9月5日の第5回が「支援が必要な子はどこに? 生活、学力、非認知能力…データ活用模索」という記事です。

 「どんなデータをどう掛け合わせれば、子どものことが「見える」のか」、「分析結果を現場での支援にどうつなげていくのか」ということで、大阪府箕面市の事例が紹介されています。

 「生活困窮」「学力」「非認知能力等」の3要素を掛け合わせて、最終的に支援が必要かどうかについて、「総合判定」を出すとのことなのですが、この連載のタイトル、「データで子どもは「見える」のか」っていうこと自体が、なんかイヤな感じがします。

 もちろん、データからなんらかの傾向が出て、支援に役立つ情報になるかもしれませんが、それはあくまでも判断の際の参考で、支援が必要がどうかは日ごろからの観察じゃないかと思うのですが…。だいたい「非認知能力等」なんて、どうやってデータ化するんでしょう?

 確かにこのようなことを利用して、人手不足やなんやらを補おう、あるいはよりよい支援をやろうというのはわかりますが、データだけに頼るのは問題です。「非認知能力等」もそうですが、もとのデータがそもそも信頼に足るものかと言えば、そこから問題になりそうな気がします。データによる判定は、あくまでも補助的に利用するのが正解だと思いますが。

2023/09/07

自国の言語だけで文化やエンタメを楽しみ、学問もできる国であることは、誇っても良いのでは?

 9月2日の朝日新聞デジタルに、「AIがあれば英語教師は不要に? 「革命的」と語る言語学者の活用法」という記事が出ています。

 立命館大学生命科学部の山中司教授への英語の学習に関してのインタビュー記事なのですが、

「社会言語学的に言えることは、日本語が思っているよりもパワフルだということです。例えば、国内で英語を話せなくて困ったことがあったかと聞いてもあまりないわけです。テレビでは朝から晩まで日本語が流れ、本屋に行っても日本語の本だらけです。でも実はこういう国は少なくて、夜に字幕なしで英語のドラマが放送されたり、ベストセラーの上位は英語で書かれた本だったりというのが海外では普通にあるんです。

 つまり、自国の言語だけで文化やエンタメを楽しみ、学問もできるという国は実は意外と少ない。英語にはかなわないけれど、パワフルな日本語があるためガツガツしなくても済んでしまうんです。」

と述べられていて、これはかなり誇れることなのではないかと思うわけです。

「日本人にとって英語は母語ではなく、割り切りも必要です。(中略)中学レベルの英語で話せるはずだと分かるのに簡単な言い回しが出てこない。英語力が足りないというより、母語話者(ネイティブ)じゃないからです。」

と述べられているように、英語を自由に操れる必要はないわけで、そもそもネイティブのようにはなれない(そのようになれる人もごく一部いるでしょうが)わけですし、言葉は道具ですから、なんとか通じれば良いんです。機械翻訳やチャットGPTがあるのですから、それをとことん利用して、それで話が通じれば良いのです。生成AIの登場で「少なくとも読み書きは、ネイティブに肩を並べられ」るとのことなのですから、機械翻訳やチャットGPTなどは積極的に使えば良いと思います。通じるか通じないかではなく、本来はその中身が重要なのですから。

2023/09/05

大学生が教員を選ばない理由は、他の職業と同じで、イメージ先行ですね。

  9月3日の朝日新聞デジタルに、「教員を選ばない理由、79%が「労働環境」 岐阜県が大学生に調査」という記事が出ています。

 記事によると、岐阜県教育委員会が県内7大学の4年生を対象に今年3月に実施した調査で、学校教員以外の進路を選んだ学生の79.0%が、労働環境を理由に挙げ、「職務に対して待遇(給与など)が十分でない」との回答も64.4%に上ったとありますが、記事の冒頭に「休日出勤や長時間労働のイメージがある」とあるように、「労働環境」も、「職務に対して待遇(給与など)が十分でない」というのも、実際はどうかは、もちろんなってみないとわかりませんから、マスコミの報道等からのイメージが大きく影響しているように思われます。これは、教員以外の職業も同じで、たまたまテレビドラマなどでかっこよく描かれた職業があると、それに憧れて希望する若者が増えるわけですし、逆であれば避ける若者が増えるわけです。現状、教員という職業は、非常に悪いイメージで社会に流布されていますので、良くないイメージが非常に強いわけです。

 ただ、現実はどうかというと、「教員不足」はイメージの悪さからくる結果だと思いますが、それにともないいろいろな問題が連鎖していることが事実でしょう。そもそも教員の働き方改革が問題視されるようになったのは、文科省の旧Twitter(現在のX)がきっかけで、現役の教員がそれを通じて現在の教育現場の実態をつぶやき、文科省が思ってもみないほど盛り上がったのが原因で、それまで放置し累積していた問題が、ここに来て一気に出た結果なわけです。ただ、これもたまたまきっかけになったことがあったから、明らかになったわけで、他の職業も同じなんだろうと思いますが、やはりイメージが良くないため、教員を選ばない大学生が多くなっているわけです。

 しかし、実際はもちろん教員を目指す大学生は一定数いますし、講師をやりながら採用試験合格を目指している人も一定数いるはずです。どんな職業も、多少世間的なイメージが悪いときでも、それを目指す人はいます。むしろ、イメージだけで選ぶような人が少ない方が、純粋に目指している人にとっては有利でしょう。

 また教員といっても、学校によってかなり違いますし、地域によっても違います。岐阜県はどうなのかはわかりませんが、一般的にはやはり小学校はいろいろな意味で大変なことは事実でしょうし、中学校は中学校なりの大変さがあり、高校は普通高校と職業高校では違います。仕事なんですから、簡単なんてことはありませんが、だからといって悪いばかりではないでしょう。たまたま教員の問題が話題になっているから、このようなことも記事になるわけですが、ただ問題があることは明確になっているので、それを把握したうえで、教員になる人は、きっと良い教員になるでしょう。

2023/08/30

「教師を取り巻く環境整備について緊急的に取り組むべき施策(提言)」、確かにあまり期待したものではないですね。

 8月28日、中央教育審議会「質の高い教師の確保特別部会」が、「教師を取り巻く環境整備について緊急的に取り組むべき施策(提言)」を出しました。

 これを受けて「給特法のこれからを考える有志の会」が、記者会見を開き、「「期待していたものではない」などと批判した」とのニュースが、28日の朝日新聞デジタルに出ています。

 具体的に「教師を取り巻く環境整備について緊急的に取り組むべき施策(提言)」を見てみると、確かにいまさら感が否めない感じで、期待していたようなものはない感じですね。記事にあるように、「3分類」は以前から出ていたのに進んでいないやつですし、何でそれが進んでいないのかもはっきりさせないで、改めてこれを入れるということが、そもそもダメですね。

 ただ、「法改正がいらず、すぐ取り組める項目に絞って提言に盛り込んだ。」とされているので、すぐに取り組んで、変えてください!

2023/08/18

死の危険と隣り合わせでの部活動って、何故やるの?

  8月11日の朝日新聞社説は、「猛暑と部活動 子の安全を守るために」というタイトルです。

 ここ例年の暑さは、昔の暑さとは明らかに違います。非常に危険な暑さです。「熱中症警戒アラート」が頻発するような暑さのなかで、運動をするなんて非常に危険だと誰もが想像できるのに、何故やるんでしょうか?そうまでして部活動をやる理由って何なのでしょうか。「関係者は熱中症の知識を十分身につけ、子どもの安全を第一にした対応をとってほしい。」などと悠長なことを言っているこの社説って、何を考えているのかと思います。

 同じ運動をしている子どもたちでも、家に帰ってからの状況は違うので、前日夜更かしした子どももいるかもしれませんし、エアコンで体調が悪くなっている子どももいるかもしれません。それでも、この暑さでなければ、多少気分が悪いとかで済むかもしれませんが、子どもの安全を守ることを優先するのならば、少なくとも日中に運動はしないとすべきです。

 「大会で良い成績を残して入試でアピールしたい」と言っても、それが将来どの程度のメリットがあるのでしょうか。自分自身は、特に運動が苦手だったわけではありませんでしたが、運動よりも文化的・学問的な方がおもしろくて、運動は体育の授業程度しかやってこなかったですが、それで何かデメリットがあったかどうかはわかりません。あったかもしれませんが、運動しなかったことを後悔するほどでもないので、気が付かないのでしょう。

 別に運動したい人を否定するわけではありません。それに打ち込もうと思う人はそれで良いと思いますが、しかし命の危険があるようななかで練習する必要はないでしょう。そのような練習をしなければ勝てないというのならば、そもそもそれほど上手くないのでしょうから、ある程度見極めが必要です。大人のエゴで、子どもを危険にされるようなことはもってのほかです。

2023/08/11

日本では文化的な専門職は、その必要性を行政が強く認識していないので、設置が難しいわけです。

  「学校図書館問題研究会」第38回全国大会が、大阪私学会館で8月5~7日に開催され、大会アピールが採択されました。今年のアピールは、「「専門・専任・正規」の学校司書の配置と学校図書館の充実を求めるアピール」です。

 アピール文にもあるように、今年2023 年は、すべての学校に学校図書館の設置を定めた学校図書館法公布から70 周年で、1997 年に司書教諭の配置に関わる「改正」があり、2014 年には学校司書が法律に位置づけられましたが、学校図書館と職員を取り巻く環境は変わっていません。

 我が国において文化的な専門職は、学校司書に限らず、その必要性が十分に認識されているとは思えません。図書館司書しかり、公文書館専門職員(アーキビスト)しかり、近年は学芸員ですら非常勤というところも多くなってきています。あるいは教育の専門職である教員も近年いろいろな問題が指摘されていることを考えると、似たようなものかもしれませんね。

 専門職を設置するということは、その業務しか行わない人材を採用するということですから、ゼネラリストを重視する我が国で、スペシャリストは取り扱いにくい存在なんだろうと思います。特に行政においては(学校司書や図書館司書、アーキビスト、学芸員など、基本的には職場が行政であることが多いですから)、同じ人件費でいろいろなことをする行政職に比べて、特定の業務しかしないため(それゆえ専門職なのですが)、コスパが悪いわけです。いろいろな部署を異動しながら出世するゼネラリストに対して、スペシャリストは異動も狭く、どれだけ職務上の知識や能力が身に着いたかどうかの判断も難しく(というか、人事課は行政職ですから、専門職の専門性の判断は難しいわけで)、出世のタイミングやポジションも困るわけです。もちろん専門職は出世とかそのようなことを望まない人も多いですが、かといって年齢があがるにしたがって給料は上がってくれないと困るわけで、行政内に位置する場合、行政職からすれば、取り扱いにくいわけです。それがすべての原因とは思いませんが、行政においてはある程度専門的に業務をこなす必要がある部署もあり、そこに異動すればそれなりの知識を身に付けて、外からみればそれなりに専門的な業務をこなしているわけで、そんな状況からすれば、その業務のみを一生専門にこなす人材を置く必要があるのか?となるんだろうと思います。しかし、世界を見れば一目瞭然で、専門職は必要なわけです。ただ、日本はガラパゴスな国なので、(特に行政で)それがなかなか通用しないところが、専門的な仕事をしている人間からすると、モヤモヤするわけです。

2023/08/07

東京都千代田区立麴町中学校の話は、映画の上映に水を差す話ですね。

 映画「夢みる校長先生~子どもファーストな公立学校の作り方」の上映が今月、各地の劇場で始まることが話題になっているようですが、8月3日の朝日新聞デジタルに、「「定期試験なし」の千代田区・麴町中、改革転換を検討 保護者に波紋」という記事が出ています。

 麴町中学校は、2014年に就任した工藤勇一校長により、宿題や定期試験、固定した学級担任制などを廃止し、制服(標準服)や体操着も「着用自由」で一部私服も導入するなどの改革を実行して注目されました。

 20年3月の工藤氏退任後、後任が今年3月まで務め、同4月に現校長が就き、今年7月にあった区内の小学5、6年生と保護者向けの学校説明会で、「まだ決定ではない」としつつ、定期試験の実施、学級担任制の導入、指定の制服・体操着の着用などを進める方向で検討していることを明らかしたとのことです。方針転換の理由は、「生徒の学力向上や生活指導強化の必要性、地域からの要望」などとのことですが、教員って近隣市区町村を異動するので、どうしても自分の勤務経験校や近隣他校と比べがちで、それまであたりまえだったことが無いということに違和感を感じるんでしょうね。そもそも定期試験や宿題などのある学校生活で、うまくやってきた人たちが教員になるのでしょうから、自分が経験してきたことを否定するような動きには、反発心があったんでしょうね。

 でも、現在の麹町中は「生徒の学力向上や生活指導強化の必要性」があるような状況なのでしょうか。地域からの要望って、どこの誰からの要望なんでしょうか。地域と言っても、普通の人はそんなこと言うわけありませんから、可能性としては区の教育委員会や区議会議員あたりかもしれませんが、もしそうだとしたら、やっかいですね。どこか一つが目立つようになると、それを抑え込もうとする動きがあるのは世の常ですが、これだけ教育を変える必要性が叫ばれているのに、それを元に戻そうとするなんて…。

2023/08/03

夏休みには、「一日体験入学」とか「学校説明会」とか、高校でもやります。

  8月2日の朝日新聞デジタル静岡版に、「新設の演劇専攻で一日体験入学 清水南高」という記事が出ています。

 中高一貫の県立清水南高・同中等部で1日に「一日体験入学」があり、高校芸術科に来春新設される演劇専攻でも体験授業があり、中学3年生10人が参加したとのことです。

 演劇専攻は、県内の高校で初めて設置されるもので、1年生で週11時間の実技があり、3年間で43単位の専門教育を受けられるということで、かなり演劇に関していろいろと学べるようです。

 個人的に、高校時代に演劇部だったので(いちおうその後も何らかかかわっています)、それを学校で専門的にやれるってのは、かなり興味があります。時々、普通の授業に演劇的要素を入れてやってみたいと思うことはありますが、そんな気が全然ない生徒ではしらけてしまうのがオチなので、やってみたことはありません。ただ、あてられてドギマギしながら答えるような生徒を見ていると、演劇的な考え方を知っていれば全然違うだろうにと思うことはよくありますし、たまたま演劇部の子を指した時には、やはりその違いを感じます。

 学校教育に、簡単な演劇的な指導を入れて、すべての生徒が少しかじって見ても良いのではないかと思いつづけているのですが、来年からの清水南高校の様子が気になります。

2023/08/02

「全国学力調査」の算数、数学も残念な感じですね。

 「全国学力調査」の小6の算数、中3の数学も、けっこう残念な感じです。

 小6の算数で、幅の等しいテープを直線で切ってつくった二つの三角形の面積についての問題の正答率が21.1%です。これは、正答を選択するだけでなく、理由を記述させる問題で、「テープの幅がそのまま二つの三角形の高さになり、底辺も等しいため「面積は等しい」というのが正解だが、「高さが書かれていないため比べられない」とする誤答が16.8%」ということですから、順序だてて考えることができていないような気がしますね。

 「テープを二つ折りの三角形に切り取り、広げて新たな三角形をつくる問題では、正三角形をつくる際に切り取る時の角度を何度にすればいいかという問題で、「60度」という誤答が33.2%と3人に1人にのぼり、二つ折りを広げて60度にするため、正解は半分の「30度」だが、正答率は25.3%と、誤答である「60度」の割合を下回った」というのも、頭のなかでイメージができていないんじゃないかという感じがします。

 中3数学での、空間における平面が一つに決まる条件についての問題正答率が31.1%で、同一直線上にない3点で平面が決定されるというのが正解だが、「一つの直線上にある3点を含む平面は一つに決まる」との誤答が35.1%に上ったという。

 「あることが決まるとあることが一意的に決まるという見方・考え方」で、いわゆる数学的な見方・考え方の問題なのですが、小6の算数も同じで、基本的な数学的な見方・考え方が十分できていないということなわけです。これらができないと上の学校に行っても困るのでどうにかしないといけないのですが、ただ、こういうのってやり方次第でどうにでも教えられる機会があるような気がします。今までの学習にこだわらないで、もっと自由な学び方を実践していけば、どこかで必ず出会うはずだと思うのですが…。

 今って、これまでの学び方とはある意味逆の方向に向かっているので、やろうと思えばできるような気がします。あとは、教える側がどれだけ今までの教育から自由になれるかにつきると思います(今までの学校教育のなかで、そこそこできた人達が先生になっているということを思えば、これが一番のポイントかも)。

2023/08/01

「全国学力調査」の結果の、英語の「話す」テストで、6割の生徒が0点って、どういうことでしょう?

 7月31日、小6と中3を対象とする今年度の全国学力調査の結果を公表されました。

 英語と数学で問題ありの結果ですが、英語の「話す」テストで、6割の生徒が0点って、どういうこと?平均正答率は12.4%で、特に正答率が低かったのは、「環境問題についてのプレゼンテーションを聞き、話し手の意見に対する自分の考えとその理由を伝えるという問題で、具体的には「プラスチック製のレジ袋を売るのをやめるべきだ」と主張する発表を聞き、それに対する自分の考えと理由を述べるというものなのですが、これが4.2%っていうんですから、驚きです。

 もちろん、日本国内に居れば、英語で考えを表現する機会はあまりないので、できないのは仕方がないと言えますが、ただ英語ってコミュニケーションのための道具ですから、基本は会話ですよね。それができないってことは、今までの読み書きの英語ではダメだということで変えたはずなのに、ちゃんとできていないわけで、何かが間違っている?コロナのせいにしないで、原因をちゃんと確かめないと、やっている意味がないってことになります。

2023/07/31

「学校教員統計調査」の令和4年度中間報告が公表されました。

 7月28日の朝日新聞デジタルに、「精神的な不調で離職の教員、過去最多に 働き方改革急務 文科省調査」という記事が出ています。「学校教員統計調査」の令和4年度中間報告が公表となり、精神疾患を理由に離職する小中高校の教員が過去最多を更新したことが分かったことを伝える記事です。

 中間報告の一番最初に「教員の平均年齢」が出ています。

①公立幼稚園:41.4歳、 ②公立小学校:42.1歳、 

③公立中学校:43.0歳、 ④公立高等学校:46.2歳

 軒並み40歳台なのは、どうなんでしょう。高校生はある程度大人で、教員が激しい動きを必要とすることはほとんどないのですが、40歳台も半ばを過ぎると気力も体力も衰えてきますから、その年齢が平均っていうのは良くない気がします。幼稚園や小学校のように子どもの動きが激しいところで、41~42歳が平均ってのは、やはり問題でしょう。これらの時代は、教員も一緒に活動してナンボのような気がしますから、平均年齢はもっと若い方が理想的でしょう。中学校だって、もっと若いに越したことはありません。ただ、多少救いなのは、「公立小学校及び公立中学校では前回調査時より30歳未満の比率が上昇(どちらも1ポイントほども上昇ですが)」している、という点でしょうか。

 こんななかで、「定年者を除いた離職者のうち、精神疾患が理由で離職したのは、小学校が7.8%にあたる583人(前回比117人増)、中学校が6.5%にあたる288人(同36人増)、高校が3.2%にあたる181人(同27人増)。いずれも、09年度の離職者から精神疾患を理由とするケースを調べるようになって以降、数も割合も最多」だというのです。「離職者や休職者が増えて人手不足が加速し、子どもの学びに影響が出ることも懸念されている」と指摘するだけではすまない状況になっているわけです。

 もう現状の学校制度は限界です。実害が出る前に(もうすでに出ているかもしれませんが)、新しい学校制度に切り替えるべきです。

2023/07/26

「図書館で不登校を防ぎたい」、このコンセプト、良いです。

 7月25日の朝日新聞デジタルに、「高校生が考えた「図書館で不登校を防ぐ」 教室は息苦しいときもある」という記事が出ています。

 神奈川県藤沢市の湘南工科大学付属高校の新しい図書館、さすが私学、ものすごく立派です。ただポイントはそこではなく、「図書館で不登校を防ぎたい」というコンセプトです。

愛称の「HABITAT(生息地)」も、意味ありで良いです。

 学校図書館は、従来より、児童生徒の「読書センター」機能及び「学習・情報センター」機能という2つの柱を持つものととらえられています。新しい学習指導要領となったことで、「学習・情報センター」としての機能がより注目され、「自発的、主体的な学習活動を支援するとともに、情報の収集・選択・活用能力を育成して、教育課程の展開に寄与する「学習・情報センター」としての機能を果たす」ことが期待されています。つまり、「個人の関心に基づく探究」をする上で重要な役割を果たす存在なわけで、そこが教室以外の居場所となれば、「個人の関心に基づく探究」がより進む可能性があるわけです。

 教室は、30~40人が一緒にいるわけですから、どうしても自分自身が自分と他の人を比べてしまう、あるいは他の人と自分を他の人に比べられてしまうわけですが、図書館は基本単独人同士ですから、そもそも誰かと比べるという場ではないから気楽です。そういう場所って、とても大切です。

 湘南工科大学付属高校の新しい図書館は、それによって「不登校を防ぐ」場所と位置付けられているわけですね。

2023/07/25

小学校が先行していますが、中学、高校は追いついていないので、よけいに矛盾する。

 7月23日の朝日新聞デジタルに、「授業が変わった 取り組む内容、子どもが決める GIGA構想3年目」という記事が出ています。

 一斉授業を減らし、一人一台端末を活用して、個別の学びを実践している小学校の事例を紹介する記事です。このような動きは端末の整備が先行した小学校で進んでいて、実践自体もなかなかおもしろいものになっていますが、中学校へ行くとどうなるでしょうか?なかには小学校同様にかなり様々な実践をしている中学校もありますが、小学校での学びが活かされる授業が、どれほどの中学校で実践できているでしょうか。同様に高校はどうでしょうか。あるいは高校受験でこのようなものが反映されている受験があるでしょうか。

 もちろん、新しい学習指導要領が進んで、高校でも従来とかなり違う科目が行われ、観点別評価も導入されてきていますが、いわゆる普通高校では相変わらず一斉授業が多いのではないでしょうか。そもそも大学入試が、科目は変われど、インプットしたものを、いかに正確にアウトプットするかの形式の試験スタイルは変わっていないので、小学校で個別の学びをやってきても、中学、高校とあがるにしたがって、以前のスタイルの授業が多くならざるを得ないというのが現実なのではないかと思います。

 「学ぶことは本来楽しいはず」、「学校は本来楽しい場所のはず」を取り戻そうと小学校がかんばっていても、上に上がるほど矛盾していくのって、やりきれないですね。やはり、一度現在の学校制度をゼロにして、作り直す必要があろうと思います。

2023/07/24

東京都内の公立小学生のうち、2022年度に都内の私立中学校に進学したのは19.3%。意外に少ない印象。

 7月21日の朝日新聞デジタルに、「公立中高一貫校、誰のため? 世帯年収、難関化…教育社会学者の視点」という記事が出ています。

 東京都内の公立小学生のうち、2022年度に都内の私立中学校に進学したのは19.3%公立中高一貫校に進学した子は1.7%同校を受験した子に広げても7.5%ということで、意外と少ないなぁというのが個人的印象です。

 公立中高一貫校に進学した子が少ないのは、都内の区市町村立の中学が601校に対して、公立中高一貫校は11校とかなり少ないからですが、私立中学校は東京都に187校あり、中学校のおよそ4校に1校が私立校という割合になるので、もっと多いかと思いましたが、おそらく神奈川県や埼玉県、千葉県などの小学生が東京都に来るので、この程度になるのでしょう。

 高校受験の影響を受けずにゆとりある学校生活を送れることや、6年間をかけての計画的な指導を受けられることなどが、中高一貫教育の利点とされますが、少し前に比べてかなり学校での教育の在り方が変わってきている現在、従来利点とされてきたことがそのまま利点と言えるかどうかわかりませんが、実際に進学している数が2割なのは、やはりお金がかかるのが理由です。「文部科学省による21年度の全国調査では、中学でかかるお金(学校教育費、給食費、学校外活動費の合計)の平均は、公立は年約53万円、私立は約143万円で、私立は公立の2.7倍」ですし、それ以前に中学受験をするということは塾に通うということなので、家庭が塾代を負担できるかどうかが、最初の関門なわけです。

 私立にしろ公立にしろ中高一貫校に入って、その後の進学実績はどうなのか、私立の中高一貫校はそれなりの実績はあるでしょうが、公立の中高一貫校は数が少ないからか、あまりその実績は一般的ではないですが、実際はどうなんでしょう?そもそも中学受験して入ろうという意識が高い子どもが受けるわけですし、地方の人間からすれば、東京都というだけで地の利がある分、進学実績は高いだろうと想像しますが、確かに公立であることの意義が弱くなっているような気がしますね。

2023/07/12

学ぶ意欲があって大学に行く人って、そんなに多くないと思うんだけど…。

  7月11日の朝日新聞の社説は、「奨学金改革 一歩前進も課題は山積」というタイトルです。

 その社説の一番最初に、「学ぶ意欲があれば、誰でも大学で学ぶことができるようにするのが望ましい。」として、「政府が、「給付型」奨学金を受け取れる人や、授業料減免の対象になる人を広げる方針を閣議決定」したということが述べられていますが、「学ぶ意欲があって大学に行く人」って、どれくらいいるんだろう?生徒はもちろん、保護者の多くは、「学びたいから進学する」のではなく、大学に進学することが「就職のための手段」だと、とらえている向きが多いのではないだろうか。これは現実として、高卒で就ける職業が限られているからであり、大卒になることで職業の選択幅が広がることが原因なわけです。

 もちろん「学びたい」ことがあるから進学する、という学生がまったくいないとは言わないが、高校生を見ている限り、学校がそのような指導をしているからなおさらなのだが、将来の仕事のことを考えて進路を決めている、例えばいまだにある「文理選択」の際にも(文理に分かれるのも、大学入試のためだけで、実際に学問をやり始めたら、いろいろな知識が必要で、文系でも数学や理科が分かった方が良い場面が多いし、その逆もしかり)、どんな仕事に就きたいかを考えながら、入試で文系科目メインで受験するのか、理系科目メインで受験するのか、受験で理系科目が必要な分野なのに、数学が苦手だからと言って文系に行ってしまうと将来希望する職業に就けなくなる云々、などの指導が行われて、その結果として大学に進学するという感じなわけです。

 中学や高校で習った授業、例えば歴史がおもしろくてもっと学びたいとか、小さなころから虫が好きなので虫の研究をしたいとかを理由として、大学に進学しようとする話はあまり聞いたことがないです(かく言う自分は、歴史を勉強したくて進学しためずらしい部類で、そのおかげで学生時代は満喫した時間を過ごしましたが、就職のこととかあまり頭になかったので、いざ卒業となった頃になって慌てましたが、もちろんちゃんと就職できず、某自治体史編纂の非常勤に入れてもらった次第です)。

 奨学金も返済時になると重くのしかかってくるわけで、その返済の重さが結婚の遅れや非婚につながり、少子化の一因にもなっていると言われていますから、奨学金を借りやすくするよりは、高等教育を無償化するとか、大学に行かなくても就職の選択肢が多い世の中にするとかの議論が、本来は必要なのではないかと思います。