2023/09/11
観光バス駐車場なのに、よく残されていましたね。
2023/08/21
「佐紀古墳群航空レーザ測量調査速報成果資料集」が、「全国遺跡報告総覧」にアップされています。
2023/08/04
歴史的価値は、時代によって変わりますから、登呂遺跡だって、見方を変えれば、今でも十分価値があります。
8月3日の朝日新聞デジタル静岡版に、「教科書から消えた登呂遺跡 発見80年、弥生時代の象徴だったのに」という記事が出ています。
かつては弥生時代を象徴する遺跡として、登呂遺跡はほどんどの教科書に出ていて、中高年は必ず学校で習ったと思いますが、今や弥生時代の遺跡としては吉野ケ里遺跡の方が有名で、今の中学校の教科書本文で登呂遺跡を記述しているのは1社しかないということです。
確かに弥生時代を象徴するような遺跡は、吉野ヶ里遺跡の他にも卑弥呼の墓だと言われる箸墓古墳のある纒向遺跡なども知られているわけですが、しかし現在でも、弥生時代の集落遺跡で「国の特別史跡」に指定されている遺跡は登呂遺跡・吉野ヶ里遺跡・原の辻遺跡(長崎県壱岐市)の3つだけですから、弥生時代の三大遺跡と言えば、登呂遺跡も入るわけです(そうは言っても、弥生時代と言えば吉野ヶ里遺跡が圧勝ですね。原の辻遺跡は、ほとんど知られていないでしょうね)。
ただ登呂遺跡の歴史的価値で評価が変わらないのは、「戦後間もない1947年(昭和22年)に、考古学・人類学・地質学など各分野の学者が加わった日本で初めての総合的な発掘調査が行われた遺跡」という点でしょう。また、「「弥生時代といえば水田稲作」というイメージが定着する契機となったことに加え、この登呂遺跡の発掘調査をきっかけに日本考古学協会が発足されるなど、戦後の日本考古学の出発点となった日本考古学の金字塔」という点も、時代が変わっても登呂遺跡の持つ価値であることには変わりありません。
つまり登呂遺跡の価値は、戦後復興期の文化のところでは、他の追従を許さぬ確固たる地位を占めているわけで、教科書を記述する際に、戦後復興期をもう少し詳細に書くことになれば、必ず載ってくる存在だと考えます。
2023/07/20
千葉市立加曽利貝塚博物館で、スマートグラスを利用した情報表示ガイダンスシステムに関する実証実験が行われます。
明日7月21日に、日本最大級の貝塚を有する千葉市立加曽利貝塚博物館で、メガネ型の情報端末“スマートグラス”を利用した情報表示ガイダンスシステムに関する実証実験が実施されます。
この実験は、大日本印刷株式会社(DNP)がスマートグラスの内蔵カメラで撮影する画像情報から利用者の位置情報を算出するVPS(Visual Positioning System)技術や、リアルとバーチャルが相互に影響し合う空間等を構築するMR(Mixed Reality:複合現実)技術を活用して行うものです。この情報表示ガイダンスシステムにより、実際の博物館内で鑑賞する人の位置に合わせて、貝塚の断面や竪穴住居の柱、土器等の情報を重ねて、スマートグラスで立体的に表示する“場所に応じたMR”のサービスが提供されるそうです。
<情報表示ガイダンスシステムの実証実験のポイント>
1.所定の位置で自動的に解説等のコンテンツを表示
スマートグラスの内蔵カメラで取得した展示物等の画像によって利用者の位置を特定するため、これまで必要だった位置特定用のマーカー等の設置が不要です。スマートグラスをかけて所定の場所で展示物を観ると、該当する解説コンテンツ等が速やかにスマートグラスに表示されます。今回の実証実験では、加曽利貝塚博物館内の貝層断面の展示を観ると、周囲に掘られた調査区の様子がMRで表示され、発掘当時の現場にタイムスリップできます。
2.現実の世界とCG等のコンテンツを違和感なく配置
バーチャルに表示するCG等の解説コンテンツを、スマートグラスを通したリアルな空間上の最適な位置に、高い精度で配置できます。そのため、解説コンテンツ等が現実世界と一体化しているような自然な表示が可能になり、利用者の直観的な理解や満足度の向上につながります。今回の実証実験では、「加曽利E式土器」展示ケースの前で4点の土器の3次元(3D)CGをMRで表示します。実物の展示では観ることができない土器の裏側などを好きな角度から鑑賞できます。また、「大形建物跡」の展示の前では、MRで床に表示する竪穴住居跡の上に柱を再現することで、建物の大きさなどをわかりやすく伝えます。
この実証実験をふまえて、今後は博物館・美術館に加え、企業や自治体等のショールームでの製品・サービスや施設・観光スポット等の紹介等にも展開していくとのことです。
2023/07/19
男女の分業についての固定観念をくつがえしてくれる発見は、いかに我々がジェンダーバイアスにとらわれているかを示してくれます。
7月16日の朝日新聞デジタルに、「「男が狩り」「女は採集」は誤解? 9千年前のペルーに女性ハンター」という記事が出ています。
「米カリフォルニア大の研究チームは2020年、ペルーのアンデス高地の約9千年前の遺跡で、ハンターと見られる10代後半の女性の遺体が見つかったと発表」、それを受けて、同チームが「アメリカ大陸の近い時代の遺跡から見つかった400人以上の記録を改めて分析したところ、狩猟具とともに埋葬された27人のうち、4割にあたる11人が女性だったことを突き止めた」との論文を、米科学誌「サイエンス・アドバンシズ」に掲載したことを紹介するものです。
狩猟採集社会における男女の分業については、1960年代にカナダや米国の人類学者らが出版した論文集「Man the Hunter(狩猟者である男性)」などをきっかけに支持されるようになり、各地に残る現代の狩猟採集社会の研究も進み、この主張に沿った男女の分業を示す報告が増えましたが、一方で狩りをする女性は例外的な存在と考えられてきました。しかし、”Female hunters of the early Americas”と題するこの論文によると、「学者たちは、私たちの種の進化の過去において、現代のジェンダー行動がどの程度存在していたのかを理解することに長い間取り組んできました。多くの研究は、現代のジェンダー概念が過去のジェンダー概念を反映していないことが多いという主張を支持しています」、「初期の狩猟採集民が経験した生態学的条件は、女性と男性の両方が幅広く参加する大物狩猟経済に有利に働いていたであろうことが示唆されています」、「アメリカ大陸の初期の女性が大物狩猟者であったことを明らかにしています」とされています。
現代においても男性よりも運動神経の優れた女性は多くいますし、特に当時のような狩猟の能力が重要視される時代においては、男性だろうと女性だろうと、狩りがうまい人間が狩猟を行うことで食料が確保されたわけですから、当たり前なはずなのですが、現代のジェンダーバイアスにとらわれていると、こういう事実も見逃す、もしくは否定することになってしまいがちですので、このような発見は我々にとって非常に良い情報です。
2023/07/03
窖窯から平窯へと窯の構造が移り変わる時期がわかる、おもしろい事例ですね。瓦生産者の苦労が想像されます。
6月29日の朝日新聞デジタルに、「宮殿の瓦、試行錯誤しながら生産? 奈良・藤原宮跡そばで新たな窯跡」という記事が出ています。
藤原宮跡で使われた瓦の窯跡が、宮のすぐ南にある日高山瓦窯で新たに窖窯2基と、平窯とみられる1基の計3基が見つかったということです。
窖窯は、藤原宮の造営以前からあった瓦を焼く焼成部の空間が傾斜している古いタイプであるのに対して、平窯は空間が平らで熱効率が高く、れんがを使って築かれています。
藤原宮は、当時寺院でしか使っていなかった瓦を、初めて宮殿で使用したことで知られる。ただ、約200万枚とも言われる量の瓦が短期間に必要だったことから、奈良盆地の内外に瓦窯がつくられました。日高山瓦窯もその一つで、都の造営が始まった初期の680年代ごろ、宮の南門からわずか300メートルほどの丘陵で操業し、宮を囲む大垣などの瓦を中心に生産し、短期間で役目を終えたとみられている窯跡です。
短期間で大量の瓦を生産しなければならないなかで、旧型の窖窯と最新式の平窯を複数つくって、試行錯誤しながら生産していたであろうことが想像され、とてもおもしろい成果です。7月1日に現地説明会の予定でしたが、雨、平気だったのでしょうか。
2023/06/05
山形大学の成果を見ると、AIはやはり使い方ですね。ルールは必要です。
吉野ヶ里遺跡の石棺墓、期待大ですね。
今日6月5日は、考古学界隈では何と言っても吉野ヶ里の石棺墓の石蓋が外される話題ですね。
撤去された石蓋2枚は外側の表面に「×」「キ」などの線が刻まれて、残る1枚には遺体を収めた内側の面に線が刻まれていることもわかり、さらに粘土で目張りがされ、その一部には赤色顔料が付着していたとのことです。赤色顔料は内側の面に線が刻まれていた石蓋にも付着していますね。赤色顔料は、水銀を原料とする朱か、酸化鉄を原料とするベンガラのどちらかですね。
上記のような情報からも、かなり身分の高い人物の墓である可能性が高いのではないかと想像されます。過去18基出土している石棺墓には副葬品がありませんが、今後、内部の土砂を除去して調査が進んでいくなかで、副葬品が出土することが期待されます。
2023/06/02
「鉄砲の玉」から、いろいろなことがわかります。
5月28日の朝日新聞デジタルに、「武田軍を破った「設楽原の戦い」 鉄砲玉が示す徳川家康の独立性」という記事が出ています。
織田・徳川連合軍と武田軍が戦った「長篠・設楽原の戦い」は、織田・徳川連合軍が鉄砲を使って武田の騎馬軍団を破った戦いとして有名ですが、近年の研究から武田方も鉄砲があり、そもそも武田の騎馬軍団と呼べるような部隊はなかったなど、従来の見解とはかなり変わってきていますが、鉄砲が勝負の決め手になったことは間違いありません。
織田・徳川連合軍が使った鉄砲は3千丁、武田軍は500~1千丁といわれていますが、記事によると、鉄砲の数の差というよりは、「玉の数と火薬の量」が大きなポイントだったようです。
「長篠・設楽原の戦い」の合戦跡にたつ愛知県新城市の市設楽原歴史資料館の周辺では、17個の鉄砲玉が見つかったいて、そのうちの3個は徳川軍が自ら調達した鉛でつくったものと考えられるようで、鉄砲玉の原料となった鉛の成分を分析した結果、家康の時代に鉛などの鉱石を産出していた新城市内のものと成分が一致したということです。
また、設楽原では、外国産の鉛と成分が一致する玉も3個見つかっており、戦国時代には外国産の鉛を入手できるのは大阪・堺を押さえていた織田信長ぐらいで、火薬も南蛮貿易で堺からだったため、信長の助けがなければ、家康も調達ができなかったと考えられ、そこから信長と家康の関係性がわかるわけです。
このように、1個の鉄砲玉から、他のいろいろな史料とともに検討することで、様々なことがわかるところが、歴史学の醍醐味ですね。
2023/05/23
安土城の天主、見たい‼
2023/04/26
これってクジラ?福岡県糸島市の深江城崎遺跡から、クジラの絵を描いた弥生土器が発見される!
4月25日の朝日新聞デジタルに、「クジラ描かれた弥生土器発見 2例目 でも捕鯨は盛んじゃなかった?」という記事が出ています。
福岡県糸島市の弥生時代後期の遺跡である深江城崎遺跡から、クジラの絵を描いた弥生時代の土器が見つかったということを紹介する記事です。「クジラを描いた弥生時代の土器が見つかったのは長崎県壱岐市の原の辻遺跡に続き、国内で2例目」だということなのですが、土器に描かれたクジラとされる絵の拡大写真を見ると、クジラと言われればクジラに見えますが、ちょっとほっそりしているような気がして、イルカだと言われればそう見えなくもありません。
胴体にモリが刺さっていて、「クジラという自然資源の恩恵にあずかり、再び、その恩恵にあずかることができるように祈りが表現されたもの」とされています。
原の辻遺跡からはクジラの骨などが見つかり、出土した土器に舟が描かれており、壱岐では当時から捕鯨が盛んだったことがわかっているのですが、糸島周辺では捕鯨が盛んだったという記録は残っていないとのことなのですが、糸島や壱岐の周辺は対馬海流に沿ったクジラの回遊ルートだということなので、やはり絵はクジラなんでしょうね。
この弥生絵画土器を、今日4月26日から7月17日まで、伊都国歴史博物館で特別公開されます。
2023/04/04
舎人親王の邸宅跡であることを示す、直接的な遺物は出ていないようですね。
4月3日、各メディアで報道された、奈良市の平城京跡の発掘調査で見つかった奈良時代前期の大型掘立柱建物跡ですが、
1.調査付近が現在の市役所近くで、平城京の区画だと「左京三条三坊」という当時の「一等地」であり、
2.4町分を利用した宅地の中心建物と推定され、最も大きいと推定される建物は、推定で東西約20メートル、南北は10メートル以上で、柱を立てるために掘った方形の穴も、一辺1・5メートルと巨大である、
3.官窯で焼かれた710年代中頃~720年代頃の瓦も多く出土し、この時期に広い宅地を持てる高位の人物で、邸宅跡が判明していないのは、天武天皇の第3皇子、舎人親王だけ、
ということから、長屋王とともに皇親勢力として権勢を振るった舎人親王の邸宅跡の可能性が高いということで発表されたのですが、名前を記した木簡が出土した長屋王のように、居住者が分かる遺物は出土していないので、ひたすら可能性は高いと考えられながらも、断定はできないことが残念ですね。
2023/04/02
遠江国分寺は、なんで「木装基壇」なんだろう?
3月31日の中日新聞デジタル静岡版に、「「木装基檀」復元は全国初 磐田の遠江国分寺跡」という記事が出ています。
全国初の講堂の「木装基壇」復元ということですが、「木装基壇」とは、土を叩き締めて地面より高く盛った土台の周りを、土が崩れないよう柱と板で囲ったもののことで、簡単にいってしまえば、いわゆる土留ということですが、そもそも国分寺の基壇が「木装」なのは、三河国分寺で確認されているのみです。まぁ、木なので残りにくく、なかなか確認できないということもあるのですが、一般的には石や瓦を使うことが多い中で、木を使っているというのは珍しい事例です。しかも遠江国分寺は、金堂や塔をはじめとした主要な建物が「木装基壇」であり、さらに木製柱の灯籠跡や木製の暗渠排水路も確認されています。
記事の中で、何故「木装基壇」なのかについて、「石が採れず木が使われた可能性がある」とされていますが、金堂や七重塔の柱を支える礎石には、市北部の敷地地域産とみられる粗粒砂岩が使われていることがわかっているので、石が採れなかったということはないと思われ、また遠江国分寺で使用されている瓦を供給した掛川市(旧大須賀町)清ヶ谷古窯群には、一般的には瓦や石などとともに基壇外装に使われる塼(せん)と呼ばれるレンガ状のブロックがあることから、遠江国分寺は石の代わりではなく、意図的に「木装」にしたのではないかと考えられます。
主要な建物や灯籠などで木材が利用されているという点では、統一感があって見た目が美しいと想像されますが、何故あえて「木装」なのか、何の効果をねらっているのか、疑問です。
ちなみに、4月1日に「史跡指定100周年 遠江国分寺跡 講堂・僧房 木装基壇完成記念見学会」が開催されました。
2023/03/02
静岡市駿河区の「曲金C遺跡」は、古墳時代前期の古墳と古墳時代中期の大量の土器や玉類を伴う祭祀跡がメインですね。
現在静岡市が調査中の駿河区曲金二丁目の「曲金C遺跡」で、2月25日に現地説明会が開催されました。静岡市環境保健研究所の移転予定地だそうですが、そもそもすぐ近くに曲金A遺跡、B遺跡があるので、何が出るんだろうかと思っていましたら、なかなか良い遺構が出ました。
現地説明会資料によると、遺構の検出面は3面あって、まず第1検出面では古墳時代後期(6世紀前半)の水田跡が検出されています。これは周辺でも出ているので妥当なところです。
目玉は、第2面の古墳時代中期(5世紀中頃)の土手状遺構で検出された大量の土器や玉類を伴う祭祀跡と考えられる遺物集中ですね。千数百個体の土器と小玉、滑石製模造品などだそうです。また、もう1か所遺物集中箇所があるそうですが、かなり多い遺物の量です。こんなに大量の土器や玉類を使って、どんな祭祀をしたのか、大変興味がわきますね。
もう一つの目玉は、第3面の古墳時代前期(4世紀後半)に造られた古墳です。1辺約10mの方墳で、周囲には溝が巡っていて、墳頂部から周溝の底までは2.5mほどの高低差があり、墳頂部では、被葬者を埋葬するための墓坑が検出されています。この周辺は丘陵部には古墳がありますが、平野部での古墳はめずらしいです。そもそも平野部に古墳があっても、洪水で削られたり、人為的に削平されたりしてしまうので残りにくく、今回の発見はかなり貴重です。
まだ、下層の調査が続いているとのことなので、この後の報告も楽しみです。
2023/01/30
熊本市で「象嵌銘文刀剣」の出土、国内8例目。
1月27日の朝日新聞デジタルに、「鉄刀に象眼文字で干支の「甲子年」 紀元604年制作か 熊本で発見」という記事が出ています。
熊本城内のNHK放送会館跡地で何故古墳時代の鉄刀が?と思ったのですが、少し調べたら、熊本城内では1962年に横穴墓群が確認されていて、どうもそこから出土した可能性があるようです。
熊本と言えば、国宝に指定されている「江田船山古墳」出土の、日本最古の銀象嵌銘の太刀がありますが、それに次いで熊本県内では2例目、国内でも8例目という大変貴重なものです。江田船山古墳の太刀は、埼玉県の稲荷山古墳出土の鉄剣銘から「ワカタケル大王」、つまり雄略天皇の時代と考えられていて、稲荷山古墳出土の鉄剣銘の「辛亥年」は471年と考えられるので、今回の「甲子年」の604年は、「江田船山古墳」出土の太刀よりも130年ほど新しいということになりますね。
604年となると、古墳時代の終わりから飛鳥時代の初めころですから、その当時、熊本のこの地に、中央から象嵌銘の鉄刀を送られるような有力者が居たということですね。
2023/01/25
富雄丸山古墳の「鼉龍文盾形銅鏡」、こんなの初めて見た‼
今日1月25日に、各メディアで取り上げられている奈良市にある日本最大の円墳「富雄丸山古墳(4世紀後半)」から出土した「鼉龍文盾形銅鏡」と「蛇行剣」ですが、特に「鼉龍文盾形銅鏡」は、スゴイ!の一言です。
鏡なのに、盾のような形の「鼉龍文盾形銅鏡」ですが、こんな変なデザイン、初めて見ました。全長237cmもある「蛇行剣」も、国内最古で、同タイプの剣としては最長ということです。それぞれの詳細な解説は、NHKか毎日新聞が詳しいので、そちらを確認してくだい。
これらは「富雄丸山古墳第6次発掘調査」の成果ですが、これに関しては、奈良市のプレスリリースがあります。また、そのプレスリリースのところにも「鼉龍文盾形銅鏡」と「蛇行剣」の取り上げの様子を撮影した動画がついていますが、「奈良市動画チャンネル」で「【速報】富雄丸山古墳で日本最大の「蛇行剣」・前例の無い「鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡」が出土!」としてアップされているので、そちらのリンクを貼っておきます。
2023/01/13
今日1月13日、静岡市歴史博物館が全面開館‼
今日1月13日、静岡市歴史博物館がグランドオープンしました。昨年から、1階のみが無料開放されていましたが、これで全面開館となったわけです。
グランドオープンに合わせて様々なイベントが行われますが、やはりメインとなるのは、開館記念企画展「徳川家康と駿府」ですね。この企画展の目玉は、チラシの表紙にも出ている、家康が元服にあたり今川義元から贈られた「紅糸威腹巻」と、晩年に着用した「「伊予札黒糸威胴丸具足(歯朶具足)」の復元模型ですね。可能な限り、当時と同じ技法で制作したものなんだそうです。
この企画展は2月26日まで、一般1,000円、高校生・大学生・市内70歳以上700円、市外小中学生250円(市内在住・通学の小中学生は、こどもカード等提示で無料)となっています。この金額で、基本展示も見ることができるのですが、基本展示だけの料金は一般600円、高校生・大学生・市内70歳以上420円、市外小中学生150円なので、数百円プラスするだけで企画展が見れるのですから、得です。
2022/12/09
ナスカの地上絵って、めちゃめちゃたくさんあるんですね。
12月8日の朝日新聞デジタルに、「ナスカの地上絵、一挙168点確認 山形大学の研究で見えてきた目的」という記事が出ています。有料記事なので、全部は見れませんが。
2019年6月~20年2月の現地調査などで新たに168点の地上絵が発見され、計358点となったということです。「大きい絵は全長50メートル以上だったが、10メートル以下の小さいものが多かった」とのことですが、めちゃめちゃたくさんあるじゃないですか!
紀元前100~紀元300年ごろに描かれたと考えられているわけですが、どうやって作ったのか、不思議ですねぇ。おまけにこんなにたくさん作って、何が目的なんですかねぇ。作り方や目的がはっきりしちゃうと、それはそれでおもしろくなくなってしまうというものですが、でも、気になりますよねぇ。
2022/12/08
峯ケ塚古墳から、最大級の「石見型木製品」が発見!
今日12月8日の朝日新聞デジタルで、「長さ3m超、日本最大の「木製はにわ」出土 世界遺産の峯ケ塚古墳」という記事が出ています。有料記事なので、全部は読めませんが。
峯ケ塚古墳は、世界遺産の百舌鳥・古市古墳群の一つで、5世紀末ごろの前方後円墳で、墳丘長96メートル、後円部直径56メートルあります。墳丘の周囲には、南側を除き二重の周濠があり、今回出土した「石見型木製品」は、北側の周濠から出土したとのことです。また、「石見型」と呼ばれるのは、奈良県三宅町の石見遺跡で最初に出土したためで、先端がY字型になっている木製品です。今回出土したものは、現存高3.52メートルで、今まで出土したもののなかでは最大のものです。
今回のものは欠損していたりするので、全体像が分かりにくいですが、福岡県糸島市の釜塚古墳で発見された「石見型木製品」は全体が良くわかるもので、糸島市がイメージ映像を作成しているので、参考までにリンクを貼っておきます。
2022/12/07
「鎌倉街道」のガイドブック、欲しいです!
12月6日の中日新聞デジタル静岡で、「「鎌倉街道」踏破 愛知・一宮の河合さんが史跡ガイド出版」という記事が出ています。
「鎌倉街道」を踏破したとは、すごいですね。記事にもあるように、「遺構や資料が少なく「幻の街道」とされている」わけで、静岡県内でも場所場所ではなんとなくわかってるんだけど、記事に「自然の地形を利用し造られたため、河川の流路変更によりルートに多少の変遷がある」とあるように、ずーっと追いかけていくと、途中で分からなくなるんですよ。
実際、現代と当時とでは地形が変わっているので、全く同じ道をなぞることは無理ですし、時代によってルートが変わっているはずですし、海道記、東関紀行、十六夜日記の著者が通ったと推定されるルートも微妙に違っていて、場所によってはルートが1つではなく、2つか3つに分かれていると考えられる場所もあります。
勉強になるので、このガイドブック、欲しいなぁ😆