続・人間老いやすく、学成りがたし: 9月 2023

2023/09/23

何故こういう人が国会議員になれるのか。それが不思議。

  9月20日の朝日新聞デジタルに、「杉田水脈議員の「人権侵犯」認定 アイヌへの差別的投稿 札幌法務局」という記事が出ています。

 遠藤乾教授のコメント、まさにその通りです。何故こういう人が国会議員になれるのか、非常に不思議に思います。「人権」という言葉が世の中にあふれているのに、日本人の身になっていないのかと思うと、なんだかんだ言って「人権」問題が多いことを考えると、「水田議員の存在」が、それを象徴しているのではないかと思わざるを得ないわけです。

 先の関東大震災での朝鮮人等の殺害の事実を、「根拠が無い」と言い張るのを考えても、日本という国は、どこまでも自らの誤りを認めず、反省をしない国であると思わざるを得ないわけです。

 そのような国に住む者として、ただ、ひたすら「恥ずかしい」としか言えないですね。

(追記)9月23日の朝日新聞社説では、「杉田水脈氏 もう議員の資格はない」と書かれていますが、まぁ変わらないでしょうね。

災害時は人命第一、歴史資料が後回しになるのはやむを得ないですね。でも、市民ボランティアがいると助かりますね。

 9月19日の朝日新聞デジタルに、「台風、地震… 頻発する災害で傷つき失われる歴史資料、どう守る?」という記事が出ています。

 近年頻発する自然災害により、全国各地で貴重な歴史資料の保管が窮地に陥っていますが、災害時は人命第一です。歴史資料が後回しになるのは、やむを得ません。

 そもそも博物館や美術館、図書館などの保管庫は、スペースの都合や搬出搬入の関係の都合上、多くの場合は地下に作られることが多いので、その時点で災害時に水没等被災する可能性は高いわけです。保管庫を新設する際に、少なくとも地下ではなく、立地が許せば高台で、縦建物の2階以上に設置できれば、かなりリスクは下がりますが、まったく新規に保管庫が設置されることは多くないでしょうから、新たな保管庫が確保できるとすれば、既存施設の空きスペースということにならざるを得ないでしょう。そうだとすると、物によって置き場所を検討することでリスクを減らすようにするしかないわけです。

 一番無理がきくのは埋蔵文化財資料でしょう。具体的には石器や、陶磁器の類、土器も物によっては多少水没しても大丈夫のものもありますが、これらは仮に水没して泥をかぶっても、洗い流せば済む場合が多いので、建物の地下または1階に保管するようにするしかないでしょう(そもそも重いですから、上階には上げられないわけです)。

 木製品や金属製品も少しくらいなら水に濡れても大丈夫でしょうが、後のメンテナスが大変なので、できれば濡れない場所に保管したいものですが、一番濡らしたくないのは、紙資料です。紙は濡れるとくっついてしまうので、できれば上階に置きたいですが、一番量が多い資料でもあり、量によっては重さもかなりのものになるので、どうしても地下や1階になりがちですが、貴重なものは別置して濡れない場所に置きたいですね。

 9月20日の朝日新聞デジタルには、「ぬれた古文書を修復、デジタル保存も 市民に広がる歴史資料の救い手」という記事が出ています。

 行政に頼るのは、もはや時代遅れです。地元の人間にとって大事なものは、市民の手で守ることが一番ですので、一人でも多くの市民ボランティアが育ってくることは大切ですね。

 20日の記事にもありますが、紙資料が実際に濡れてしまっても、レスキューの技術は確立されています。全史料協や各地の文化財ネットワークなどで、レスキューのノウハウを持った人たちにつながることができるので、実際に被災したら、ノウハウを持った人たちに助けを求めることが一番です。

 現在は全国で保存されている歴史資料は非常に多いので、どうしても被災の可能性は高まります。すべてを救うことが不可能であり、それゆえ、ある程度失う資料が出てくるのも仕方がないことだと思います。多少失う歴史資料があるのは仕方がないことを前提に、保存上、レスキュー上の優先順位を決めておいた方が良いでしょう。

 9月21日付け朝日新聞デジタルには、「出土品は増え続け、収蔵庫はあふれる どこにしまう問題に悩む自治体」22日付けでは「「整理」される民具 人々が暮らしてきた歴史を未来に伝えるには」として記事が出ています。歴史資料の保存は難しいですが、あるものすべてを保存しようとすると無理が生じるのも事実です。トリアージと同じで、優先順位の高いものを残すという発想で臨むしかないでしょうね。

2023/09/22

まだ、社会全体で共有というムードにはなっていない気がします。

  9月21日の朝日新聞の社説は、「教員の働き方 危機感、社会で共有を」というタイトルですが、「持続可能な教育のあり方を、社会全体で考える機会にしたい。」という社説の言葉のようにはなっていないような気がします。

 「社会の複雑化や子どもの多様化を受け、学校の仕事は増え続けてきた」のは事実ですが、それと同時に社会全体の学校を見る目や、保護者の学校とのかかわり方が、以前とは違ってきていると思われるのです。

 「子どもたちに十分な教育を提供することが難しくなっている危機的な現状」と社説では述べられていますが、それが「危機的」だと感じているのかどうか。

 「教育」が学校だけで担われる時代ではなくなっていることも、また事実であり、それだけ学校への関心が弱くなっているのではないか。少なくとも、従来ほど学校に関心が向いていないような気がします。

 もちろん、社説で述べられているように、もっと関心を持つ必要があるとは思いますが、基本を変えぬまま、一部分だけを見直すことで問題を乗り越えようという姿勢だからこそ、全体に共有するというほどの危機感を感じられないのではないでしょうか。もっと根本的なこと、つまり学校をどうするかということを議論すべき時に来ているのではないでしょうか。学制以来150年の近代教育は、新たな教育の在り方に変わるべき時期になっていると思います。

2023/09/20

公文書管理法と情報公開法は、あくまでも理念と目的をうたっているだけで、実際に運用するのは行政ですから、彼らがどう考えるかです。

  9月20日の朝日新聞デジタルの社説は、「「森友」公文書 開示が原則、徹底せよ」ですが、公文書管理法と情報公開法は、あくまでも理念と目的をうたっているだけなので、実際に法律を運用するのは行政ですから、彼らの考え方次第で、「開示」するか、そうじゃないかが決まります。

 「開示」するための法律だったはずなのですが、これらの法律ができて、逆に「開示」されなくなったことが多くなったのではないかと思います。法律ができる前は、自分たちの運用でよかったものが、法律ができるとその基準が当たり前になるため、自分たちの運用の幅も狭くなるわけで、それまでできていたことができなくなったということが多くなるのと同時に、法律が前提になるので、それの中で対応するしかなくなるので、できることがよけい狭くなるわけで、何か問題になるよりは、むしろ「開示」しないという方を選ぶわけです。

 「行政の裁量を広範に認め、情報公開制度の趣旨を理解していない」というよりは、問題にならないことを優先するので、本来の趣旨よりも狭くとらえていくのを前提としているわけで、行政は組織で対応するため、個人レベルでは理解していても、組織の判断になると変わってくるのです。不思議なもので、大勢で議論していくと、多くの場合無難な結論になっていくもので、誰も責任を取らなくても良い方に流れて行ってしまうため、森友問題も、なお多くのなぞが残ることになってしまうのです。

2023/09/19

教職が敬遠される主な要因となっているのは、「長時間労働」のようですが、やり方次第なのでは?

  9月19日の朝日新聞デジタルに、「あなたはなぜ教員に?試験会場で聞いた「何物にも代えがたいのは…」」という記事が出ています。

 「全国の公立学校教員の採用試験の志願者が減り続けている。教職が敬遠される主な要因となっているのは、長時間労働だ。」ということのようなのですが、教職に限らず若いうちは長い時間仕事をせざるを得ないような気がしますが…。

 新人のころは、いろいろなことを知らないわけですし、知識もノウハウもないので、何をやるにしても時間も手間もかかりますから、結果的に長時間労働になるのというのは、どんな職業でも同じだと思います。ただ教職の場合、相手が何十人もいて、ある子に通用しても、別の子には通用しないということが多々あり、それが1年終わると受け持つ子どもが変わるので(学年持ち上がりでも、クラス替えがあって、完全に同じ子どもばかりではないので)、毎年新しい相手がいるということになれば、前年うまくいったことでもうまくいかず、改善の必要がでてくるわけで、ある意味毎年新しいことに取り組まなければならず(そうじゃない方もいるでしょうが)、ましてやすぐに答えが出るものでもないので、これで良しということがなかなか定まらないため、必然的にやることが多くなるわけです。何かを試してみようとして、自分自身でドツボにはまってしまうことも多いでしょう。

 これってやり方次第だと思います。自分の力で子たちが良くなるとかいうことも、ある時もあれば、ない時もあるし、むしろ自分の力でどうにかなるというのは、ある意味思い上がりでしょう。いい意味でいい加減な部分があっても良いし、子どもたち自身の力で何とかなっていく部分が多いはずです。教員の力など微々たるものですが、きっかけや糸口を与えることはできるでしょう。

 最初から構えないで(と言っても構えてしまいますが)、若いうちは何も知らないんだから、時間がかかるのは当たり前、それを嫌っていては何もできないということを理解していれば、別に教職だろうと何だろうと同じなので、教職だけ避ける必要もないはずですが。近年は情報が多いので、どうしても頭でっかちになってしまうのが問題ですね。

2023/09/18

政府による朝鮮人虐殺は「記録ない」は、資料のつまみ食いですね。

  松野博一官房長官は8月末に「記録が見当たらない」との発言が、中央防災会議の専門調査会が2009年に出した報告書を根拠資料としているということで、朝日新聞デジタルでは、9月17日付けで「朝鮮人虐殺の記録に透ける「何とか小さく」 研究者「今の政府も」」、9月18日付けで「政府は朝鮮人虐殺「記録ない」 報告まとめた学者は「読んで判断を」」という記事が出ています。

 17日の記事のほうでは、公の記録はいろいろあるにもかかわらず政府は無いとしていることへの批判であり、18日の記事は中央防災会議の専門調査会が2009年に出した報告書は、「政府機関が当時公表した情報からどれだけのことが言えるかという、非常に限定的な範囲のもので、当時の政府発表の焼き直し」であり、当時の委員が、「過小評価しているという批判は当然こうむるだろうと思いながらまとめたもの」であるものなので、それを根拠とすれば、「無い」との判断になるのは当たり前で、自分の都合がよいように資料をつまみ食いする典型のものです。

 世の中は、資料をつまみ食いすることが多いので、様々な発言は、その根拠に戻って確認しなければならないということを、世に広く知らしめる事例が、今回の政府見解ですが、そのような訓練を受けている研究者はともかく、多くの人はそのまま鵜呑みにしてしまうので、訓練を受けたものがきちんとその間違いを指摘することはとても大切なわけで、微力ながら、このブログも、その一部として役に立つことを期待して書いています。

2023/09/17

ヨーロッパの「アナログ回帰」、ちょっと早いなぁ。

 9月13日のCOURRIER JAPONに、「デジタル教材先進国のスウェーデンでも デジタル機器は学習に悪い?─欧州で始まった学校の「アナログ回帰」という記事が出ています(プレミアム記事なので一部しか読めませんが、無料会員になると月2本まで見れるようになるので、無料会員になると良いかもしれません。ちなみに私は無料会員なので、月2本まで見れるのですが、他にも見たい記事が結構あって、プレミアム会員に登録してしまいそうですが😅)。

 「スウェーデンでは、約1年前に就任したロッタ・エルホルム学校教育大臣のもとで、学校の授業における「紙の書籍や手書き」への回帰が進んでいると英紙「ガーディアン」などが報じ」、「ドイツでも同様の議論があり、一定の学年以下の授業でデジタルデバイスを使わない方針を掲げる学校もあ」り、「オランダでも、学校へ持ち込むデジタル機器について大幅な制限が検討されていると報じられた」とのことです。

 これらの国々では日本よりもかなり早くデジタル機器が学校に導入されているので、その結果、「読解力の低下」が指摘されていて、「セビリア大学の教育心理学者パブロ・デルガドらの研究では、限られた時間で説明文を読む場合には紙のほうが優れていること、および、デジタルテキストに慣れたデジタルネイティブ世代であっても、デジタルテキストの読解力が高くなるわけではないことが示された」ことなどもあり、「紙への回帰」が予定されているわけです。

 「『スマホ脳』で有名なスウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセンも、クーリエ・ジャポンによるインタビューのなかで、抽象度が高い内容の文章は紙で読んだほうが理解度が高まるという研究結果を挙げている」とのことなのですが、一方で「デジタルを「唯一の悪者」扱いすることには賛否ある」ようですが、やっと本格的になりつつある日本は、どうすればよいのか?ですよね。特に高校では来年やっと3学年がそろうという学校も多いだろうと思われるので、これからという感じのところも多いと思われます。まぁ、とりあえずはデジタル機器使用の実践を積み重ねながら、ヨーロッパの様子見というところですかね。

2023/09/16

今日2023年9月16日は、大杉栄・伊藤野枝・橘宗一没後100年。

  今日9月16日は、大杉らの命日で、今年2023年は没後100年です。

 静岡市の沓谷霊園で、墓前祭が開催されましたが、100年ということで、今年が最後となりました(今日の共同通信に「大杉栄、最後の墓前祭 甘粕事件100年、静岡」と記事が出ています。大杉の甥の大杉豊さんも参加されました)。

 大杉らが憲兵隊に連行されたのは「関東大震災の混乱に乗じて」と言われていますが、何故震災から2週間もたったこの時期に、6歳の橘宗一少年も一緒に連れていかれたのか。確かに東京はまだ混乱していたのは事実でしょうが、あまりにも不自然です。「甘粕事件」と呼ばれるこの事件は、まだまだ謎が多いわけですが、大杉豊さんが9月15日付けの毎日新聞で語っているように、「100年で終わりではなく、その記憶を忘れてはならない」ものだと思います。

 近年、伊藤野枝が見直され、関心が高まっており、今月24日には伊藤野枝・大杉栄らの没後100年を記念するシンポジウム「自由な自己の道を歩いて行こう」が開催されます。対面参加だけではなく、オンラインでの参加も可能ですので(オンライン配信視聴1,800円)、参加してみてはいかがでしょうか。

 また、8月には平凡社から『伊藤野枝セレクション』、『大杉栄セレクション』も刊行されています(Xでも紹介されています)。

 大杉・伊藤の死から100年たっていますが、100年たっても大杉や伊藤が目指した社会は達成されていないと思います。100年を機に多くの人に大杉・伊藤の思想を知ってもらい、この閉塞した現代を変える力が結集されることを期待せずにはおれません。

2023/09/15

やって無駄になるわけではないだろうけど、どれだけ役に立つのか、期待はしない方がいい。

  9月12日の朝日新聞デジタルで、「東京のスピーキングテスト、ベネッセに代わる英国機関にインタビュー」という記事が出ています。

 「東京都内の公立中学生を対象にした「英語スピーキングテスト」の次期運営事業者の候補に、英国の公的な国際文化交流機関「ブリティッシュ・カウンシル(BC)」が選ばれた。」ということで、機関の人間にインタビューした記事なのですが、東京都も懲りないというか、よくやりますよね。

 生徒の英語力を伸ばすために、英語スピーキングテストは多少役立つと思いますし、そのために授業等でも練習するのでしょうから、まったく役にたたないわけではないでしょうが、そのあと続けないと身に着かないですよね。東京なので、進学した高校によってはこれが活きるような学習をする学校もあるでしょうが、すべての学校がそのような取り組みを行うわけではないですし、東京とは言え、英語で会話をする機会が多いわけではないのですから、労力をかける割にはって気が済ますが。

 「2021年全面実施の中学校の学習指導要領では英語の授業は原則英語で行うことになり、言語活動も重視する内容とな」ったわけですが、英語が好きだとか得意だとかいう生徒とってはこれを機にもっと伸びる生徒もいるでしょうが、そうじゃない生徒にとってはただ苦痛なだけで、より一層苦手意識が強くなったりするのではないかと思ったりします。英語に時間をかける分を、その生徒の得意な分野に回して、強いものをつくった方が良いのではないかと思いますが、どうでしょうか。

2023/09/14

考察対象になる県知事って、一体なんなんでしょう⁉

 9月12日の中日新聞デジタル静岡版に、「静岡県の川勝平太知事が失言を繰り返すのはなぜか? 専門家や元部下が考察するに…」という記事が出ています。

 名物(●惑?)知事である川勝知事ですが、「なぜ失言は繰り返されるのか。」という点で、考察の対象になっています。ここまでいろいろな話題を振りまいてくれると、疑問に思う人も多いからでしょうね。

 「興味を引く言葉や面白い話題を探すばかり」で、「自分がどんな場で話しているかの認識が甘い」と指摘する「話し方研究所」の代表のコメントは、よく見ているなぁと思います。知事はもともと大学の先生ですから、学生に向かって「興味を引く言葉や面白い話題を」話すのが、身についているのではないかと想像するのですが、それが政治家になってもそのままで、おそらく知事本人はおもしろいことを言えたと思っているのでしょうが、勢いで言ってしまっている部分があるために配慮が足りずに、後から周囲から指摘されるという感じなのではないかと思います。

 ここまで何度も繰り返すのですから、おそらく本人は自分の発言を失言とは思っていないはずで、もしかすると何が失言なのかもわかっていないかもしれませんね。知事には何度がお目にかかってお話させていただいたり、近くでお話を伺ったことがありますが、県庁内での顔と、庁外での顔とがあり、さらに別の顔を持っているという感じの方だなぁと思っています。政治家チックな方で、ご自分に自信があるので、周りの意見をあまり受け入れないところがあるので、まぁ、この先もこんな感じでしょうね。

2023/09/13

やっぱり、基本的なところに戻って考えてみるのが一番なんだと思います。

  9月10日の朝日新聞デジタル静岡版に、「赤字に悩む「FMいずのくに」、県立大生が課題解決に新番組」という記事が出ています。

 スマホアプリ「radiko」のエリアフリーで、地元以外の番組を聞くことが可能になったもともあり、近年はラジオの魅力が再認識されているようですが、地方のコミュニティーFM局ですと、もともと母体が小さく、マンパワーも少ないこともあり、苦戦しているところもあるようです。

 記事の「FMいずのくに」は地域密着型ということもあり、番組内容が伊豆の国市およびその周辺地域に関係したものに限られていることもあるのでしょう。新たな番組づくりによるスポンサーの獲得と赤字解消が急務となるなかで、普段ラジオを聞かない大学生がプロジェクトをスタートさせたとのことです。

 フィールドワークも重ね、伊豆長岡温泉や観光地、名所旧跡、市内の店舗などをめぐり、市民が気づいていない魅力を発見することに努め、また、複数の番組を聴き、リスナーとして感じた率直な意見や番組企画案もリポートとしてまとめることからスタートしたとのことです。そのうえで、市内の飲食店や観光施設などの魅力を伝える新番組を提案し、「若者目線」「外部の目線」をキーワードに議論した結果、スタジオから出て現地リポートをするスタイルで、週末をどう過ごすか決めかねている人をターゲットに訴求する街歩き番組をつくることにしたとのことですが、これってラジオ番組としては基本的なものですよね。逆に今までラジオを聞いて来なかった大学生だからこそ、基本に立ち戻ったのでしょうが、そうすることで、何か見えてくるものがあるかもしれません。やはり行き詰ったら、一度基本に戻ってみるのが大事なんだろうと思います。

 「若者目線」「外部の目線」がうまく活きて、大学生の取り組みがうまく行くように願っています。

2023/09/12

専門職の人手不足をAIに代替させるのは、難しいでしょうね。

 9月6日の朝日新聞デジタルに、「AI導入の落とし穴 人手不足の学校や児相で「本末転倒なDX」も」という記事が出ています。

 「学校や自治体で、一人一人の子どもの個人データを連携させたり、それをもとにAIに虐待のリスクを判定させたりする取り組みが進」んでいて、「現場からは人手不足や縦割りの解消にと期待する声」があるとのことですが、「データ化を進めたからといって必ずしも楽にはなるとは限らない」という横浜市立大の先生のコメントが出ています。

 「国や事業者は、「人手の少なさをデータ化と自動化でカバーできる」などとして各自治体にシステムの導入をすすめ」ていて、「職員が足りておらず負担を減らしたい自治体は、それに乗りやすい」のが現実ですが、記事にもあるように「ごく単純なプロセスの手間を省くDX(デジタル化)なら一定の効果はあるでしょう」が、「子どもに関わる複雑なプロセスで専門職の人手が足りていないところをAIに代替させようとしても、人手が足りないまま済ませるのは難しい」のが事実だと思います。

 自治体は机上の計算で物事を判断する場合が多いですが、実際に人がかかわる作業は計算通りにはいかないのはもちろん、特に専門職が行うようなことは、まだまだデータ化しきれるものではなく、専門職ならではのコツがあったりしますし、日常的にその分野にかかわっているから気がつくことなども多いわけです。ですから、それをAIに代替させようにもAIが学習できるデータになっていないことも多く、AIのそこまではまだいっていないわけです。やはりある程度人を配置しないとならない部分はあるわけで、それを安易にAIで代替させようとすると、かえって混乱してマイナスになってしまう可能性があるのですが、自治体などはなかなかそこまで考えないというか、危機管理不足というか、まぁどうにならないと気が付かず、ただ何かあっても自分たちが悪くないと思うという、最も人間らしいところがあるんです。仕方ないですけどね。

2023/09/11

観光バス駐車場なのに、よく残されていましたね。

 先週、「実は古墳でした」ということで話題になった法隆寺参道脇の観光バス駐車場にある植え込みですが、写真で見る限りでは、案外ジャマな場所にあって、重機で整地されてしまってもおかしくないような感じですが、よく残されていましたね。

 奈良大文化財学科の豊島直博教授(考古学)は「最初の発掘調査の時は正直、古墳かどうかよくわからず、乗り気ではなかった」と半信半疑だったとコメントしていますが、そのような状況でも、いちおう「舟塚古墳」と呼んでいた町教育委員会も、今の今まで手を付けなかったというも不思議ですね。

 ただ、9月9日におこなわれた現地説明会の様子を報道している、10日の朝日新聞デジタルの「古墳だった法隆寺の植え込み 専門家も当初「半信半疑」 現地説明会」の記事の写真および9月7日付け「法隆寺の駐車場にある植え込み、実は古墳でした 奈良大学などが確認」を見ると、かなりりっぱな横穴式石室で、一部石が抜き取られているようですが、副葬品もそこそこ出ています。

 10日付けの記事で現地説明会に並んでいる人たちを写した写真から判断すると、「舟塚古墳」である植え込みは、以前法隆寺を訪問した際に、なんとなく目にしていたような気がする場所です。いや、たぶん見ていますね。そこに「注意 古墳につきゴミを捨てないで下さい 斑鳩町」という看板までは記憶にないですが。

2023/09/10

100年経って、関東大震災での事の真相がかなり明確になってきましたが、一般的な認知はこれからですね。

  今日9月10日の朝日新聞社説は、「虐殺の記録 史実の抹消は許されぬ」というタイトルです。

 「関東大震災の際、流言を信じた市民や軍、警察によって朝鮮半島出身の人たちなどが虐殺された。この歴史的事実について、政府が「記録がない」といい続けている。」という問題はよくあることで、そもそも政府の見解が正しいと思っている人は、(内容にもよりますが)それほど多くないのではないでしょうか。

 今回の関東大震災100年で、朝日新聞を始め、いろいろと新しい歴史資料が発掘され、または映画や書籍などが作成されて、これまでの研究の蓄積と合わせて、虐殺の事実は(すべてではないですが)かなり明確になった感がありますが、一般の人たちの認知はどれほどでしょうか。以前も書いたことがありますが、そもそも100年前の9月1日に関東大震災があったということは、20代より若い人たちにとっては歴史の授業で習う出来事の一つであり、30代あるいは40代の人たちにとっても、あまりピンと来ない話なのではないかと思います(50代にとっては、石橋克彦氏の「東海地震説」による9月1日の防災訓練のインパクトがあったので、それなりに認識されていると思いますが)。

 一般の人たちにとっては、現状では政府のあやしいコメントすら信用する人たちがいるだろうと想像されるわけですが、ある程度歴史的事実として明確な話が多くなってきた今からが、過去の出来事を認識していくものと思われるのであり、政府のあやしいコメントを信じさせないようにするためにも、歴史にかかわっている人間にとっては、これらの成果を広め、認知させていくようにしていかねばならないだろうと考えます。

2023/09/09

「本に親しむ」という意味では、有意義な場所ですね。

  9月6日の中日新聞デジタル静岡版に、「売らない、できるのは立ち読みだけ」という記事が出ています。沼津市を本拠とする「マルサン書店」が、「出張所」として「立ち読みだけ」の書店を今夏、長泉町にオープンしたことを紹介するものです。

 「児童書や学校の課題図書など約600冊の本が並ん」でいて、「本は店の在庫や出版社から借りた商品を置き、定期的に入れ替える」ということで、「担当者は「出張所は1円の利益にもならないが、本が生活の一部になってもらえたら」と話」しています。

 これって、図書館とも違って、本に親しむ新しい形で、個人的にはとても素敵な試みだと思います。ユニークな取り組みですが、でも何でこんなことを思いついたんでしょう?本が大好きな人が考えついたのかもしれませんね。ちょっと、のぞきに行ってみたいなぁ😆

2023/09/08

「データで子どもは「見える」のか」って、傾向が把握できて、何か役には立つかもしれないけど、なんかヤダなぁ。

 9月3日から朝日新聞デジタルで、「データで子どもは「見える」のか 活用の最前線と課題」という連載が始まっていて、9月5日の第5回が「支援が必要な子はどこに? 生活、学力、非認知能力…データ活用模索」という記事です。

 「どんなデータをどう掛け合わせれば、子どものことが「見える」のか」、「分析結果を現場での支援にどうつなげていくのか」ということで、大阪府箕面市の事例が紹介されています。

 「生活困窮」「学力」「非認知能力等」の3要素を掛け合わせて、最終的に支援が必要かどうかについて、「総合判定」を出すとのことなのですが、この連載のタイトル、「データで子どもは「見える」のか」っていうこと自体が、なんかイヤな感じがします。

 もちろん、データからなんらかの傾向が出て、支援に役立つ情報になるかもしれませんが、それはあくまでも判断の際の参考で、支援が必要がどうかは日ごろからの観察じゃないかと思うのですが…。だいたい「非認知能力等」なんて、どうやってデータ化するんでしょう?

 確かにこのようなことを利用して、人手不足やなんやらを補おう、あるいはよりよい支援をやろうというのはわかりますが、データだけに頼るのは問題です。「非認知能力等」もそうですが、もとのデータがそもそも信頼に足るものかと言えば、そこから問題になりそうな気がします。データによる判定は、あくまでも補助的に利用するのが正解だと思いますが。

2023/09/07

自国の言語だけで文化やエンタメを楽しみ、学問もできる国であることは、誇っても良いのでは?

 9月2日の朝日新聞デジタルに、「AIがあれば英語教師は不要に? 「革命的」と語る言語学者の活用法」という記事が出ています。

 立命館大学生命科学部の山中司教授への英語の学習に関してのインタビュー記事なのですが、

「社会言語学的に言えることは、日本語が思っているよりもパワフルだということです。例えば、国内で英語を話せなくて困ったことがあったかと聞いてもあまりないわけです。テレビでは朝から晩まで日本語が流れ、本屋に行っても日本語の本だらけです。でも実はこういう国は少なくて、夜に字幕なしで英語のドラマが放送されたり、ベストセラーの上位は英語で書かれた本だったりというのが海外では普通にあるんです。

 つまり、自国の言語だけで文化やエンタメを楽しみ、学問もできるという国は実は意外と少ない。英語にはかなわないけれど、パワフルな日本語があるためガツガツしなくても済んでしまうんです。」

と述べられていて、これはかなり誇れることなのではないかと思うわけです。

「日本人にとって英語は母語ではなく、割り切りも必要です。(中略)中学レベルの英語で話せるはずだと分かるのに簡単な言い回しが出てこない。英語力が足りないというより、母語話者(ネイティブ)じゃないからです。」

と述べられているように、英語を自由に操れる必要はないわけで、そもそもネイティブのようにはなれない(そのようになれる人もごく一部いるでしょうが)わけですし、言葉は道具ですから、なんとか通じれば良いんです。機械翻訳やチャットGPTがあるのですから、それをとことん利用して、それで話が通じれば良いのです。生成AIの登場で「少なくとも読み書きは、ネイティブに肩を並べられ」るとのことなのですから、機械翻訳やチャットGPTなどは積極的に使えば良いと思います。通じるか通じないかではなく、本来はその中身が重要なのですから。

2023/09/05

大学生が教員を選ばない理由は、他の職業と同じで、イメージ先行ですね。

  9月3日の朝日新聞デジタルに、「教員を選ばない理由、79%が「労働環境」 岐阜県が大学生に調査」という記事が出ています。

 記事によると、岐阜県教育委員会が県内7大学の4年生を対象に今年3月に実施した調査で、学校教員以外の進路を選んだ学生の79.0%が、労働環境を理由に挙げ、「職務に対して待遇(給与など)が十分でない」との回答も64.4%に上ったとありますが、記事の冒頭に「休日出勤や長時間労働のイメージがある」とあるように、「労働環境」も、「職務に対して待遇(給与など)が十分でない」というのも、実際はどうかは、もちろんなってみないとわかりませんから、マスコミの報道等からのイメージが大きく影響しているように思われます。これは、教員以外の職業も同じで、たまたまテレビドラマなどでかっこよく描かれた職業があると、それに憧れて希望する若者が増えるわけですし、逆であれば避ける若者が増えるわけです。現状、教員という職業は、非常に悪いイメージで社会に流布されていますので、良くないイメージが非常に強いわけです。

 ただ、現実はどうかというと、「教員不足」はイメージの悪さからくる結果だと思いますが、それにともないいろいろな問題が連鎖していることが事実でしょう。そもそも教員の働き方改革が問題視されるようになったのは、文科省の旧Twitter(現在のX)がきっかけで、現役の教員がそれを通じて現在の教育現場の実態をつぶやき、文科省が思ってもみないほど盛り上がったのが原因で、それまで放置し累積していた問題が、ここに来て一気に出た結果なわけです。ただ、これもたまたまきっかけになったことがあったから、明らかになったわけで、他の職業も同じなんだろうと思いますが、やはりイメージが良くないため、教員を選ばない大学生が多くなっているわけです。

 しかし、実際はもちろん教員を目指す大学生は一定数いますし、講師をやりながら採用試験合格を目指している人も一定数いるはずです。どんな職業も、多少世間的なイメージが悪いときでも、それを目指す人はいます。むしろ、イメージだけで選ぶような人が少ない方が、純粋に目指している人にとっては有利でしょう。

 また教員といっても、学校によってかなり違いますし、地域によっても違います。岐阜県はどうなのかはわかりませんが、一般的にはやはり小学校はいろいろな意味で大変なことは事実でしょうし、中学校は中学校なりの大変さがあり、高校は普通高校と職業高校では違います。仕事なんですから、簡単なんてことはありませんが、だからといって悪いばかりではないでしょう。たまたま教員の問題が話題になっているから、このようなことも記事になるわけですが、ただ問題があることは明確になっているので、それを把握したうえで、教員になる人は、きっと良い教員になるでしょう。

2023/09/04

ドイツでは、原発再稼働説は「終わった話」。こういうことこそ、大事な政治判断です。

 9月2日の朝日新聞デジタルに、「ドイツ首相、原発再稼働説を一蹴「終わった話」 4月に脱原発完了」という記事が出ています。

 今年4月、最後の原発3基が送電線から切り離され、60年以上に及ぶ原発の歴史が終わったドイツで、国内にくすぶる原発再稼働説についてショルツ首相が、現地公共ラジオのインタビューで、「ドイツにおいて、核エネルギーの問題は終わった話だ」と語ったということです。

 昨年2月にロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まってエネルギー供給への不安が高まり、今年4月の世論調査でも原発停止について「反対」が「賛成」を上回り、ショルツ氏の社会民主党と連立政権を組む自由民主党の議員団が、今週、稼働が止まったばかりの3基について解体を停止するよう求める声明を採択するなかで、国として行った「脱原発」の判断を貫く姿勢を明確にすることこそ、政治家として重要なわけです。こういう点は、日本の政治家は弱いですね。なんとなくどっちつかずで、八方美人的な態度を取りがちなので、よけいイライラします。

 ただ、ドイツの「脱原発」の判断は、そもそも東京電力福島第一原発事故を受けてのことで、当事国は東京電力福島第一原発の処理水放出で新たな問題が起きているのに、はっきりしない態度を取っているわけで、こういうところが政治的な成熟度の違いなのでしょうか?

2023/09/03

金原明善没後100年で振り返ることは大切ですが、すべてが良いわけではないですので、その辺はきちんと見極める必要があります。

  中日新聞デジタル静岡版に、「金原明善の教えを今こそ防災に 天竜川治水など功績 没後100年で振り返る動き」という記事が出ています。

 没後100年となる実業家金原明善の功績を振り返る動きが、各地で見られることを伝える記事で、金原明善と言えば天竜川の治水に取り組んだことで有名で、彼の思想と行動は、戦前から今日に至るまで高く評価され、郷土の「偉人」として顕彰されていて、中日の記事もその方向での報道ですが、他方で松島十湖(1849~1925)が金原明善の治水実践を批判した事例のように、金原をめぐる評価は必ずしも「高評価」ばかりではなく、近年の歴史研究の成果に目を転じれば、金原明善を「偉人」として顕彰する言説が、近代天皇制国家における支配イデオロギーとなっていたことも明らかにされているわけです。

 天竜川の治水に関しても、地元の支持のもとになされたものではないということは、『近代静岡の先駆者』(静岡新聞社)「金原明善」の項で斎藤新氏により指摘されていて、みずからの全財産を捧げて改修事業に取り組もうとしたという言説も、金原明善家の家産は治河協力社解散時に返還されていて、治河協力社についても、斎藤新氏はその私的性格を指摘しています。

 浜松市内の学校では金原明善を「偉人」として教えていますが、人間は良い部分も、必ずしもそうではない部分もあるというのが世の常で、「偉人」と評価するのはどんな人でもなかなか難しいものですから、地域でさまざまな事業を展開した明善は「偉人」とするよりも、実業家として評価すべきだと思います。

2023/09/02

国立映画アーカイブの「関東大震災映像デジタルアーカイブ」に、『北伊豆震災』の動画が追加されました。

  9月1日、国立映画アーカイブの「関東大震災映像デジタルアーカイブ」に、『北伊豆震災』の動画が追加されました。

 1930年11月26日、伊豆半島北部を震源に発生した「北伊豆地震」による被害を、とりわけ激甚な被害に見舞われた地域での取材により紹介した作品で、1931年に制作されたものです。時間は18分50秒、文部省が制作したもののようです。

 地震の原因が、箱根から丹那盆地を抜けてまっすぐ南北に走る断層が、南北に8尺(約240㎝)ずれた結果起こった地震であることが映像内で示されています。

 沼津市内の家屋の倒壊の様子、三島大社の境内へ避難した人々の様子(三島大社の境内に情報収集所、警備指令所が設置された様子も写っています)、青年団ががれきを片付けていたり、大場郵便局では仮庁舎で業務を行っていたり、大場、韮山、伊豆長岡駅、修善寺温泉の被害状況、旧中伊豆町の八幡や中大見付近の山崩れ、伊東では一部で火災も起きたようで、最後は田方海岸の土砂崩れを映しています。北伊豆地震の被害が大きかった地域を中心に、多くの場所を撮影していますし、人々の様子も非常によくわかります(婦人会らしき女性たちの炊き出しの様子も出ています)。

 これは非常に有益な映像資料です。時間的にも学校の授業でも使いやすいのではないかと思いますので、これは利用するべきですね。

 ちなみに、これ以外にも映像資料として『東京大震災の惨状』『第四報 東京大震災惨状』『航空船にて復興の帝都へ』『地震と震災』『日本之大地震』『震災後之日本』が追加され、さらに東京や横浜の街の、震災前、震災直後、震災後日、復興期に分けて、変化の様子を見ることができる「震災タイムマップ」が新しくできました。これにより、国立映画アーカイブが所蔵する全20作品の震災関連映画がすべて公開され、サイトが完結したということです。

2023/09/01

「関東大震災100年」、改めて強く認識することが必要です。

  今日2023年9月1日は、「関東大震災100年」です。朝日新聞でも社説は「関東大震災100年 安全な社会になったのか」というタイトルです。

 朝日新聞は「関東大震災100年」で特集ページを設けて、さまざまなコンテンツをそろえています。最近は学校で行う防災訓練は、夏休みが8月31日までではないところが多くなっていることからも、9月1日の始業式の後に訓練をするというところが少なくなり、子どもたちも9月1日が何の日なのかよくわからないということもあるようですが、これを機に朝日新聞の特集ページなどを利用しながら、地震について考えるということが必要でしょう。何故ならば、朝日の社説にもあるように、関東大震災から100年経っても安全な社会になるどころか、ますます混迷を深め、安全ではない社会になっているからです。

 静岡県に関しても、今日の朝日デジタル静岡版で、「静岡県内450人犠牲、教訓生かす 関東大震災100年」ということで、県東部地域を中心に地震や津波の被害に見舞われ、約450人が犠牲になったことや、先日このブログでも紹介した伊東市の津波被害のことなどが紹介されるとともに、宝台院へ被災者が避難したことや、デマに乗じて中国人や朝鮮人、社会主義者らが虐殺された問題についても記載されています。特に静岡は、静岡市の沓谷霊園にある大杉栄と伊藤野枝の墓があり、墓前祭が開かれていましたが、それも100年を機に終わりとなることが記されています。

 このように「関東大震災」は、いまだに多くの学びを提供してくれます。「関東大震災」について認識を新たにし、学んでいく必要があるでしょう。