8月3日の朝日新聞デジタル静岡版に、「教科書から消えた登呂遺跡 発見80年、弥生時代の象徴だったのに」という記事が出ています。
かつては弥生時代を象徴する遺跡として、登呂遺跡はほどんどの教科書に出ていて、中高年は必ず学校で習ったと思いますが、今や弥生時代の遺跡としては吉野ケ里遺跡の方が有名で、今の中学校の教科書本文で登呂遺跡を記述しているのは1社しかないということです。
確かに弥生時代を象徴するような遺跡は、吉野ヶ里遺跡の他にも卑弥呼の墓だと言われる箸墓古墳のある纒向遺跡なども知られているわけですが、しかし現在でも、弥生時代の集落遺跡で「国の特別史跡」に指定されている遺跡は登呂遺跡・吉野ヶ里遺跡・原の辻遺跡(長崎県壱岐市)の3つだけですから、弥生時代の三大遺跡と言えば、登呂遺跡も入るわけです(そうは言っても、弥生時代と言えば吉野ヶ里遺跡が圧勝ですね。原の辻遺跡は、ほとんど知られていないでしょうね)。
ただ登呂遺跡の歴史的価値で評価が変わらないのは、「戦後間もない1947年(昭和22年)に、考古学・人類学・地質学など各分野の学者が加わった日本で初めての総合的な発掘調査が行われた遺跡」という点でしょう。また、「「弥生時代といえば水田稲作」というイメージが定着する契機となったことに加え、この登呂遺跡の発掘調査をきっかけに日本考古学協会が発足されるなど、戦後の日本考古学の出発点となった日本考古学の金字塔」という点も、時代が変わっても登呂遺跡の持つ価値であることには変わりありません。
つまり登呂遺跡の価値は、戦後復興期の文化のところでは、他の追従を許さぬ確固たる地位を占めているわけで、教科書を記述する際に、戦後復興期をもう少し詳細に書くことになれば、必ず載ってくる存在だと考えます。
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