2月20日付け中日新聞デジタルに、「征討令145年 三方原の旧幕臣、命懸けの証しが玄孫宅に」という記事が出ていました。
三方原の開拓は気賀林が有名ですが、牧之原と同様に無禄移住してきた旧幕臣たちも開拓に入っています。記事に出てくる都築さんのご先祖様も旧幕臣だとのことで、「都築米尊」かどうかはっきりしませんが、1870年3月の「静岡藩職員録」には静岡勤番組の世話役に「都築知加良」の名前が見えます。
西南戦争は、徴兵令による兵隊の初めての実戦でしたが、それだけでは兵隊が足りないということで、徴兵令に抵触しない方法として、警察官として諸藩の士族を新たに徴募し、新撰旅団として戦地に増援していますので、都築米尊もこれにより西南戦争に参加したということですね。ですから、感状の肩書が「元四等巡査心得」なわけです。
牧之原も同じですが、三方原の士族による開拓も、あまりうまくいかなかったため、士族にとって警察官の徴募は新たな道であり、それが西南戦争に従軍するということなわけですから、それまでの不満を爆発させるかたちで、西南戦争(この戦争自体も不平士族の反乱ですが)に参戦したのではないかと想像されます。
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