日本国憲法の施行の日から76年という、今日の憲法記念日ですが、朝日新聞が今日5月3日の社説で「平和憲法と安保3文書 民主主義の形骸化許されぬ」といっても、それは今始まった話ではなく、「政府が説明や議論を軽んじ、憲法が主権者と定める国民を置き去りにし」、合意形成がないまま、国の大事な原則を次々と変えていく状況は、むしろ日常化しているわけです。
何故そのような状況になっているのか、今日の朝日新聞の「樋口陽一さん語る 9条の価値と立憲主義の危機「在野の構想力学べ」」で述べられている「『公』の『私』化」および「『私』の『公』化」、つまり「公私の区分」が壊れているというからだと考えると、納得できることが多いように思います。
ただ、このようにいっていても、「危機を語る言葉はあふれているが、事柄の大きさとは対照的に、たえられないほど軽いと感じています」という樋口陽一氏の言葉は、昨日5月2日の朝日新聞の「「隠したい」元SEALDsの過去 若者の声を封じるものは」にもつながるような気がします。
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