朝日新聞の連載「宿題が終わらない」で、5月26日は「2週間で500ページ…宿題に悩む中高生 「大量・一律」への警鐘も」、5月28日は「「全員に同じ宿題」疑問抱いた先生たち 提出やめた学校で起きた変化」というタイトルです。
5月26日の記事には、「中堅校は、強制的にやらせないと生徒が勉強をしないと思っている。子どもが勉強をしていないことが不安な保護者が、宿題を出してほしいと学校に伝え、その期待に応えるための宿題を出している先生もいるだろう」と出ていますが、確かに高校では中堅校以下では、何もないと勉強しない生徒は多いでしょう。宿題すらやって来ない生徒もいるはずです。なかには本当にわからなくてやって来れないという生徒がいないわけではないですが、多くは部活に打ち込みすぎていたり(あるいは本人自身がそれを理由としていたり)、勉強には興味がわかないので、勉強以外にことに取り組むことで結果的に宿題はやらないか、やっても適当にやるだけということは実際にあるはずです。それを不安に思う保護者がいることも事実ですが、それに応えるために宿題を出す先生って、実際にいるのでしょうか。いるとしたら、どれくらいいるのでしょうか。中学校の場合、高校入試という壁があるため、それを乗り越えるためには勉強しなければならないと思っている保護者が一定数はいるものと想像しますので、中学校の先生ならば、もしかするといるかもしれませんが、高校はそういうことはあまりないような気がしますが。いないとはいいませんが、かなり少ないような印象があります。
ただ近年の「個別最適な学び」から、「全員に同じ宿題」を出すことに疑問を感じる向きがあることも理解できます。5月28日の記事はまさにその部分を再考した結果、子どもたちに一律の課題を出すことをやめ、自分に必要な学習や興味関心について考えることで、自ら進んで学ぶ力をつけるようにするために何に取り組むかは家庭で相談して決めるというスタイルに変えた小学校の事例です。
小学校からこのような活動をすることは大変良い動きだと思います。何事も、幼いことからの経験の積み重ねが、大きくなってからも影響するわけで、例えばそのような経験がない、または少ない高校生に自分で決めて自分で勉強するよう促しても、たぶんできないでしょう。そのような場合には、むしろ一律に出された方が生徒も取り組みやすいと思いますが、確かに理解度や進捗状況には個人差があるので、同じ宿題を出しても、まったくわかっていない子がいる一方で、いまさらそれをやるのかという子がいることもあるでしょう。ただ、一律に出すとその差が明確に見えるので、教員にとってはやりやすいということがあるのも事実です。しかし、結局それは、28日の記事に対する小熊英二氏のコメントにあるように、「カギは宿題を出すか否かではなく、生徒個々人に手間と時間をかけて向き合えるか否かのようだ。問題は、教員にその余裕があるか否かである。」という点が、一番ポイントであると思います。宿題問題は、教育の働き方改革と強く結びつく問題なのです。
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