続・人間老いやすく、学成りがたし: 学問は、社会的に不要になれば、廃れます。

2021/08/21

学問は、社会的に不要になれば、廃れます。

  サブカルチャーに関する情報を集めた神戸新聞社のニュースサイトである「よろず〜ニュース」で、「サブカルによる歴史学への影響「ナチスの〝無防備な需要〟」大学准教授が危ぐ」と題した記事が、8月19日に出ていたので、ちょっと気になって読んでみました。

 いちおう、歴史を学んできて、多少なりとも今もそれにかかわる仕事をしているものとしては、近年の大学において、歴史学離れが進行しているらしいとの情報に、ちょっと寂しい思いを感じる一方、特にコロナ禍での社会状況に関して、アカデミックに歴史学をやっていらっしゃる近代史の方々から、改めて何の声も聞こえてこないことに対して、諦めの気持ちを感じている今日この頃なのですが、唯一と言っていいのか、元?歴史学者の與那覇潤氏はかなり発言されていて賛否色々あるようですが、『歴史なき時代に』で語っていることに関して、個人的には與那覇氏に賛同に近い認識を持っています。ただ、歴史学が完全に無くなるとは思っていません。しかし、特に近現代史に関して、史料の保存の問題や急速にデジタル化が進んでいるなかで、いままでと同じではいられないと思っていますので、曲がり角に来ているのだと思います。

 ですから、この記事にあるサブカルから入ってくるというのは、高田准教授と同じように歓迎すべきことであると思います。とりあえず興味を持ってもらえなければどうしようもありませんから。そこから、きちんと大学で教育してもらって、それでもちゃんと歴史研究に取り組む若者がいれば、その数が少なくとも、それで良いのではないかと思います。逆に言えば、どのようなきっかけからであれ、興味を持った人間にきちんと学問的指導をして、歴史研究ができるようにその方法を身に付けるために大学で歴史学が学べるようになっているわけですから、高田准教授が懸念しているであろうことも含めて、指導していくのが大学の役割であり、そこで指導している先生方は、諸々含めて教育するのが仕事なのですから、ぜひ頑張って欲しいですね。



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